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2020.7.13-7.18 あたらしい私の色とクランブルケーキ、「よるのこえ」

暑さがいや増してきた先週は、すっかりリモートのつもりでいた仕事が生身でのことになったので、慌てて準備をしていた。

思いのほか大変だったのは、会社勤めではない「私」にちょうどいい服装を探すことだった。ゆるふわ無職になったときに、えーい、とそれまで仕事のときに来ていた服をばっさり断捨離したことや、会社勤めをしないでいた間に価値観が変化していったことも影響して、あたらしい「私」に塗る色をなかなか決めきれないでいた。ゆるふわ社畜だったときとは印象を変えたかったし、変わった姿を見せなければならないんだろうなと思った。そしてそれ以上に、数ヶ月前までとは違う「私」の色が欲しかったから。

あたらしい名刺に合わせた服装と、数日着回しながらでも浮かない靴探し、それからコンタクトを1dayに切り替えるというのを特急で終え、ふにゃふにゃになりながら仕事の下準備をした。

あんまりふにゃふにゃになったものだから、休憩にはクランブルケーキを食べた。だいすきなプラムが入っているこのケーキは、先週口にしたものの中で一番素敵なものだった。

合わせた器は、h+の金彩釉がかわいい子。ここの器は静謐なかろやかさがあって、無性に惹かれてしまう。ホットサンド用の器もここのもの。

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素朴なおいしさというものは、存外に扱いがむずかしい。
やや乱雑な言い方をすると、「素朴さ」と「おいしさ」の間には思いのほか透明な隔たりがある。ふらりと入ったお店で気まぐれに買ってみたこのケーキは、ぱっと見た感じ、素朴系のややお洒落よりかな? と見ていたのだけれども、まったくもって素朴ではなかった。

フォークを差し入れたときの、乾きすぎずしっとりしすぎず、ちょうどよく焼き上げられた生地の程よく密なかたさ。プラムの酸味も生地に馴染んでいて、別のものやアクセントではなく、生地とあわせて一つの味になっていた。クランブルは口当たりが柔らかくて、でもほろほろの数歩手前にいる感じ。ひと口食べるごとに風味が感じられて、手を掛けられたものをいただいているという実感のわく味だった。しっかりと手をかけられて、丁寧に仕込まれて焼き上げられたことが伝わってくるような……。いつもどこかにある空白を、しばしの間満たしてくれる。そんなおいしさ。

わかりやすい直接的な味も、シンプルな素朴さも好きだけれど、このケーキは素朴なおいしさに奥行きを加えたような感じで、とても新鮮だった。おいしかったな。きちんと明確な個性があって、その個性の方向に芯があるというか……クリームのないケーキをこんなに噛みしめるように食べたのは久しぶりのことだった。

* * *

リモートではなくなった仕事にまつわるあれこれに右往左往していて、ケーキのほかは、わりかし自分の過ごした時間の記憶が曖昧な週だった。

その中で一際鮮やかだったのは、土曜日に聴いた少女文学館×俳優×最善席「よるのこえ」だった。こちらは、紅玉いづきさんが編集長をつとめる合同誌『少女文学』の作品を俳優さんたちが朗読するというイベント企画。
※2020年7月25日まで購入&視聴が可能です(購入:7/25 21:00
視聴:7/25 24:00)

泊まり込みのための荷造りをしながら聴いていたのだけど、どきどきしながら聴くうちに手元に集中できるはずもなく。わりとはじめのほうから、荷造りは放って画面に向かって聴いていた。

よくよく検討を重ねられたのだろうな、ということがほんとうに伝わってくる内容で、朗読された作品の順番や朗読との相性、それからもちろん、朗読劇にされることで作品の本質が読んだときとは異なるアプローチで……そしてそれにも関わらず、その純な部分はより磨かれたように感じられたのが、とてもよかったなあと思う。

今回朗読された作品の中では、彩坂美月「オオカミは誰」(『少女文学』第三号収録)と紅玉いづき「ぺぺ、あなたの少女小説を読ませて」(『少女文学』第一号収録)が、とりわけ素敵だった。

『オオカミは誰』は男性の声で語られる「あたし」のまろやかなみずみずしさというのかな、その不思議なくらい違和感のない一人称がとにかく活きていて、どきどきした。一度読んでいるはずなのに、朗読の巧みさによって作品の中に自分が入り込んでしまっている没入感と世界から切り離された感覚が痛いほど強く感じられるので、どうなってしまうんだろうと胸がざわざわしてしまったくらい。

『少女文学』には第一号にエッセイを寄稿させていただいたご縁があり、そのときにも感じたことだけれど、「ぺぺ、あなたの少女小説を読ませて」は、あの頃の私と今の私が泣いてしまう作品だなと思う。その泣き方はそれぞれ違っているのだけど、でも、まったく違いすぎてはいなくて。少女小説への慕わしさとやわらかい痛みに、胸をやさしく押されるような気持ちになるのだった。

朗読で演じられたぺぺは、「なんてインスタントなチョイスでしょう」というくだりで、ああもうだめだなあ、好きだなあ、と目が熱くなってしまった。その熱がゆらゆらしたまま導かれた、あの最後の場面。
うっすらと見えていた世界が鮮やかに目の前にあって、頬に熱がはしって心にぬくもりが灯る瞬間の駆け出すような、愛おしさと痛みがせめぎあう瞬間が朗読になることでいっそう鮮やかになっていて、すごく好きだった。まぶしかったな。

荷造りをしながらもう一度「よるのこえ」を聴いて、やっぱり胸が熱くなってしまって、結局寝るのが遅くなってしまったのだった。
でも、そんなことはもう関係ないくらいに素敵な夜だったな。不要不急のものがどんどん削ぎ落とされていくようで、好きなものや素敵なものの息が細くなっていく様子を苦しく思う日々の中で、それでもきらきらして輝いてくれるものがあることの得難さを感じる夜だった。


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