高卒プログラマーでも30年現場で戦えます。(1)アセンブラ

高校を卒業したのが、平成2年の3月でバブル景気の終焉直前でした。

30年前のバブル景気は、仕事があふれていて、高卒の研修1ヵ月のヒヨッコでも仕事を任せてしまう時代でした。

しかし工業高校とは言え、当時は本格的なプログラムの授業はなく、就職先ではじめてプログラム言語を学ぶ事になります。

就職先の小さなソフト開発会社は、C言語での開発がメインで、他にCOBOLでの開発もありましたが、いずれも当時主力のNEC社製PC-9800シリーズ上で動く、いわゆるパソコンソフト開発が主な業務でした。

しかし、私が配属されたのは、アセンブラ言語で開発をする組込制御の部署でした。
令和の現在であれば、組込制御もTRON(トロン)OSが主流ですが、当時は全ての制御をプログラムする必要があり、ハードウェアの知識が必要とされました。
そんな理由からなのか、工業高校卒業の私は組込制御の部署に配属されました。

前置きが長くなりましたが、要するに私のプログラマーとしての出発は、アセンブラ言語からとなったのです。

1ヶ月の研修で、C言語やBASIC言語なども学びましたが、ビジネスマナーの研修などもあり、実際のプログラム研修は現場の中で学ぶ事になります。

そもそもアセンブラ言語なんて、研修でちょっとだけ触れたCASLぐらいでしたから、配属先の現場では分からない事だらけです。
アセンブラはプログラミング言語としては、覚える命令が少ないのが、唯一の救いでした。

結局プログラミングと言っても、数値をメモリに入れて、比較判定して、数値を出力するだけの事なんだと、学ぶことができたのがアセンブラ言語です。

アセンブラはやれる事が極端に少なく、30 年前だと、組込制御のCPUは8ビットの8080系がほとんどで、出力先は7セグLCD、プログラミング容量が128KBと言ったかなり制限された中での開発でした。

ただ、幸運にも最初にアセンブラ言語で仕事をした事によって、結局CPUは0と1の塊で、プログラミング言語は、それを人間がより理解しやすい言葉に置き換えているだけのものとの認識が、30 年間プログラム開発の現場で生き抜いてきた基礎になったと感じています。

令和の現在で、プログラムを勉強しようとする人に、アセンブラ言語から学ぶことは、絶対にお勧めしません。
変態でない限り、誰もが挫折してプログラムが嫌いなってしまうでしょう。

ただ不自由な環境で、制限の多い中でのプログラミング、更にアセンブラ言語と言う低級言語で最初に仕事をした事で、基本設計の大切さ、各種ロジックの理解や、C言語のポインターが簡単に理解できるなどの恩恵があったと考えています。

アセンブラの内容には触れずに、次回はC言語での仕事について書きたいと思います。

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