連絡手段遍歴
私が初めて遠隔での連絡手段を得たのは中学の頃。
Yahooのメアドを作成し、授業の課題だったインタビューメールを送った。
その頃、周りの同級生はほとんどスマホやiPodを持ち、LINEグループやインスタでやりとりをするのが当たり前のようになっていた。
しかし私は、、
音楽だって、好きな曲をPCに取り込んでCDを焼いて聞いていた。
親も3Gガラケーで、私もスマホを持っていない。
つまり、LINEができない、クラスのLINEグループにも入れない。
私の普段の外出先での連絡手段はテレホンカードだった。
友達がみんな機種変していく中、テレホンカードだった。
周りの友達のスマホからホームボタンが無くなってきた高校2年の頃、
ついに私は個人の携帯番号を手に入れた。
3Gガラケーだった。月額900円。激安。
正直言うと、新しいiPhoneが欲しかった。そうすれば、LINEでも連絡取れるようになるし、写真も高画質で撮影できる。
でも、3Gガラケーで我慢した。
まぁ、面白いこと(?)もあった。
友達の前でガラケーを取り出して電話するたびに、
「え?w ななきの、ガラケーなの??wwすごw」
と言われるようになった。
ケータイを取り出して見せるだけで話題になる。
まるで骨董品のように珍しがって見てくる。
それが面白かった。
それからしばらくして、
おばあちゃんのお下がりでiPhone6をもらった。
少々言い方は悪いが、スマホをろくに使えないおばあちゃんがスマホを持っていて、スマホを使いたい私がテレホンカードだったのが信じられなかった。
友達に「ガラケーじゃん」みたいなことを言われるたびに「祖母スマホ、私テレカ」というネタになったのでまぁ別に。。。
iPhone6をもらったはいいが、ガラケーの契約期間はまだ残っていた。
結局、契約していないiPhone6と3Gガラケーの2台持ちという謎構成となった。
この契約していないiPhone6。
電話はもちろん不可、Wi-Fi環境じゃないとLINEなどもできない。
帰宅して家のWi-Fiに繋いだ途端、通知音が連続で鳴り響くという流れを毎日のように繰り返していた。
周りのみんながスマホで連絡を取り合う中、ガラケーで連絡。
これが大学2年まで続いた。令和の時代にガラケー大学生。
友人たち・先生など、見せるたびに、
「え?ななきのガラケー?! 懐かしい〜」
「懐かしい〜〜!」
しかし・・・
この3Gガラケー生活も終わりを告げることとなる。
「2022年3月 au3Gサービス終了」
また次回。
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