【ドラマレビュー】仮面ライダーBLACKSUN(1話〜3話)
仮面ライダー生誕50周年記念作として、
「仮面ライダーBLACK SUN」
が2022/10/28からアマゾンプライムで配信開始されました。
1話から3話を鑑賞したところでひとまずレビューを残しておこうと思います。
正直、ここまで面白い
まずはシンプルな感想としては、これ結構面白いです。
ヒーローものとして考えると少し魅力は低めになってしまうかもしれないが、ドラマとしてはかなり先が気になります。
3話目までイッキ見してしまい、そのまま4話に進みたかったのですが、やることがあったので一旦、止めました。
あらすじ
簡単に第1話のあらすじを紹介します。
2022年。人間と怪人が共存する世界。
しかし、実態には怪人は人間からの差別を受けていた。差別反対を訴えるデモが起こる一方で、怪人廃絶を訴えるデモも起こる。
デモのさなか、人間と怪人の小競り合いが起き、怪人は警官に射殺されてしまう。しかし、それは正当防衛として扱われてしまう。
南光太郎は借金の取り立てなど裏の仕事をしながら、生計をたてている。新しい仕事は葵という学生を殺すこと。
葵は怪人と人間の共存を願い、アメリカで英語のスピーチでもその主張を発表し、総理大臣とも接見するほどの存在。
葵のスピーチの中で「人間と怪人の命は等しく地球より重い。1グラムも違いはない」と語るが、それを見て総理は彼女を捕まえるよう怪人に命じる。
総理の周りを堅める政権与党はゴルゴム党と呼ばれ、幹部には怪人たちが名を連ねている。
政府が送り込んだ怪人が葵と接触した時、同時に光太郎とも居合わせる。光太郎は変身し、怪人を倒す。
葵を殺そうと近づく光太郎。葵が首から下がる胸飾りを見て、光太郎は彼女をさらい、アジトに連れ帰る。
そこには秋月信彦がいた。50年ぶりの再開となった2人。信彦は光太郎に「創世王を殺して50年前の決着をつけよう」と語る。
ヒーロー性の排除
あらすじを見てもらえるわかると思うが、かなりダーティというか主人公・光太郎には一般的なわかりやすいヒーロー性というものは排されている。
生きるために殺人も行おうとするキャラクターの面もそうだが、変身した姿や戦い方もどちらかというと敵の怪人に近いディティールで描かれている。
特に戦い方はかなり野生的で、第1話の敵・クモ怪人に対しては力任せに足をへし折り、最後は首をひきちぎって倒す。
「変身」とも叫ばないし、ライダーキックやライダーキックなどもなく、ひたすらパワーファイトでクモ怪人を撃破する。
怪人とのカッコイイ戦闘シーンはヒーローものの見せ場だが、本作ではそこはそういったアクションは描かれない。そういった魅力で売ろうとしてない。
むしろ、少し引くくらい残虐な倒し方をしている。第1話のクモ怪人は首を引きちぎられ、第2話のアネモネ怪人は胴体を上下に真っ二つにされ、上半身のない下半身はゆらゆら何歩か歩いてから倒れる。
本作での「戦い」はあきらかにエンタテインメントではない。
怪人たちはマイノリティの象徴
ではこの作品は何が面白いのか。
一つは、「怪人」として描かれるマイノリティの行く末のドラマです。
怪人たちはヘイトを向けられやすい社会的な弱者たちが創世王のエキスを使って作られる。
これを主導しているのは総理大臣とゴルゴム党。
怪人たちは創世王のエキスから作られるヘブンという食料で若さや快感を得ることができる。このヘブンは高額で怪人たちが買い求める。また、怪人自体が富裕層に高額でオークションで買取される。これらの資金は政権与党に流れ込む。
あからさまに貧困層にダブらせて描かれる怪人たち。富裕層や権力層に搾取される怪人たちがいる一方で、ゴルゴム党に所属する怪人たちは人間(政府)への従属を受け入れることで、怪人たちが生きる世界を守っている。ゴルゴム党の怪人たちもやはり、弱者の一部として生きている。
ゴルゴム党と袂を分かち、今とは異なる世界を作るために戦おうとする信彦=シャドームーンも含めて、怪人たちがどういう結末を迎えるのかが、非常に気になります。
光太郎と信彦とゆかり
本作は1972年の過去のエピソードも並行して描かれていく。怪人たちはヘブンを摂取すると加齢を抑えることができるので、2022年とほとんど外見が変わらないキャラもいる。
過去のエピソードではゴルゴム党が結成されるまでの過程が描かれていて、当初は光太郎も信彦もゴルゴム党のメンバーと行動を共にしていた。
なぜ光太郎と信彦はゴルゴムから離れることになったのか。そこには、ゆかりという女性が絡んでいる模様。
このゆかりという女性は今のところ2022年の現代には出てこないキャラ。光太郎と信彦は彼女に淡い好意を持っているのかも?という描写もあり、彼らの関係性や過去に何があったのか、ゆかりはどうなったのかが、ストーリーを引っ張る軸の一つにもなっている。
今のところ自分的にはこの2つが面白い要素で、3話までイッキ見してしまいました。
動きの少ない主人公勢
実はこの第3話まで、光太郎と葵という主人公格のキャラたちがドラマ上の動きが少ないのと、バックグラウンドがまだ描き切れていないため、感情移入度が低い。
光太郎はなぜ葵を匿うのか。葵はなぜ怪人との共存を訴えるのか。光太郎は信彦からの協力依頼やこの世界をどう考えているのか。
などなどが見えてきてないので、どうにもモヤる。
どちらかと言うと、想いや行動が理解しやすい信彦や三神官、ビルゲニアたちの方が感情移入しやすい。
たぶん、光太郎のバックグラウンドはゆかりとの過去が描かれることで見えてくるのだと思うので、それまで少し辛抱です。
ゆかりの件が見えてくると、光太郎と葵の関係性も見えてくるのだと思うので、それまで主人公格の2人はステイです。
少しツッコミどころも
全体的には面白いんですが、少しツッコミを入れたい部分も。
本作はかなりシリアス寄りに作っているのですが、その割にはもう少し設定を詰めた方がよかった点がいくつかありました。
怪人と人間はいちおう、平等な権利を与えられているんですが、銃で殺せるとはいえ、生身でぶつかれば、人間より相対的には力が上と見られる。
ブラックサンもシャドームーンは生身で首を引きちぎったり、胴体を真っ二つにできてしまう。第2話のアネモネ怪人は1人で葵の家をめちゃくちゃに荒らし、葵の養母・美咲を殺害している。空を飛べるコウモリ怪人などもいる。
この力の差がある中で、同じ空間で生活していくのはかなりリスクがあるのではないか。
また、怪人たちは普通の人間に差別的に扱われがちなのだが、逆上した怪人に危害を加えられる怖さはないのだろうか。
ここをもう少しきちんと説明しておかないと、社会的弱者たる怪人たちという存在の説得力が下がってしまう。
怪人たちが普通の人間と同じで悪いことをする人ばかりでないとわかっていても、逆上したり判断ミスがあれば、容易に人間に危害を加えられるという事実だけで、周囲の人間は怖くて生活できないし、表立って、批判や差別などしにくいはず。
4話目以降にこの点あきらかになるのかもしれないが、それはそれで第1話で描いておくべき。
とはいえ、見るのをやめるほどのマイナス点ではないので、また見続けていきたいと思います。