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バングラ生活5ヶ月経過🇧🇩〜ギリギリ脱出劇

再びデモ激化。モバイルデータ遮断。出国を決意

しかし、8月4日の朝、ダッカ内で大規模なデモと武力衝突が起こった。午前中は随時流れてくる更新情報メールが死者数を伝えていて、その数は1日で100人近く。昼頃には再び政府によってモバイルデータ通信が遮断され、ホテルから状況を見守っていた不安な日々がフラッシュバックした。
どれだけ政府が厳しく取り締まってもクオータ制度を見直しても国民の怒りは治らなかった。そして政府は市民と戦う姿勢を見せている。前回よりさらに深刻な状況になることは一目瞭然で、頭に「退避」の文字が浮かんだ。
そこですぐに職場の方やバングラデシュ外の友人たちに相談し、翌日14時のインド行きのフライトを取った。元々8月中旬からバングラデシュの外に旅行に行く予定だったけど、そこまで待つのではなく、即行動することに。
「こんな状況では大袈裟なくらいすぐに行動した方がいい。何もなかったらそれはそれで良い。状況は数時間ごとに変わるから行動を先延ばしにしない方がいい」という助言が決め手だった。上司も空港までの車を手配し、私の突然の出国をサポートしてくれた。
その日の夜は寝るまで彼と連絡をとり、翌日無事に空港まで辿り着けることを祈った。一番緊張した夜だった。私だけでなく、家族、友人、彼にとっても緊張の夜。そして翌日もその緊張は続いた。

出国の朝

昼のフライトだけど9時過ぎに行動するとデモや武力衝突に巻き込まれる可能性があったので、フライト当日は朝7時に職場の車が家まで迎えにきて空港に向かう予定になっていた。
家から出るとインターネットは使えない、暴徒化したデモ隊に出会う可能性もゼロではない。緊張の朝だった。
しかし空港への道は静かで人も少なく普段よりずっと早く、無事に空港に到着した。私の居住エリア周辺では前日夜にもドンぱち一騒動あったためデモ隊も早朝から暴れるエネルギーはなかったらしい。
ただ、空港に到着してからが長かった。飛行機が飛ぶまで約9時間かかり、この空港での時間でも感じる事があった。

空港での9時間

空港に到着すると、エントランスの外で大勢の人が空港の中に入れず座り込んだり寝転んだりしているのが見えた。恐らくフライトの時間が夕方や夜、または明日、数日後だけど道中の安全性を考えてその日の早朝にやってきた人たち。私はすぐ空港の中に入れたのだけど、チェックインカウンターが開くまで空港内の階段で座っている間も外で待っている人たちが見えた。今もはっきり覚えているのは膝枕で寝かせている夫の汗ををサリーの端っこで拭いてあげている女性。「もし空港が突然閉まったり暴徒が押し寄せてきたりしたらどうなってしまうんだろう」とふと思った。
それから「ムンバイ行きは2時間遅れる」と知らされ、その間同い年くらいの女性と色々お話ししていた。ただ、その女性はかなりマイペースかつおせっかいだった。私の座席をかなり後ろ側の自分の席の隣にしようとしたり、イミグレカウンターに急いで向かおうとすると「イミグレ通過前の売店の方がティーが美味しいから先にお茶しましょう」と言ってきたり、「付いてきて!」と間違った搭乗口に連れていかれたりと、緊張モードの私はそのマイペースさに疲れてしまった。「はよバングラ出たい…」という気持ちはさらに募るばかり。
そしてついに決まっていなかった(本当の笑)搭乗口が決まり、遅れて機体が空港に到着した。
待合室ではテレビでダッカで暴動が起こったこと、ハシナ政権が倒れたことを知った。バングラデシュ人はテレビを見ながら喜んだり何かを話しあったりして、インド人(と思われる人)はそこまで熱心ではないようだった。私は「これから本当にどうなってしまうんだろう。でも武力衝突の激化と死者が激増は免れてよかった」と思った。
そして遮断されていたモバイルデータ通信が復活しSNSの制限も解除され、バングラの外と突然連絡が取れるようになった。「今から飛行機に乗るよ、乗ったよ」とあらゆる人に報告しまくり、ひとまずみんなで安堵。

ギリギリの出国

機体が到着した後、エアラインのスタッフは何だか焦っているようで、乗客は大急ぎでシャトルバス、機体に乗り込んだ。バスの手前で落としたお気に入りのスカーフを拾いに行き余裕もないほど。もしかしたら私の気持ちが焦っていたからそう感じたのかもしれないけど、何だかカオスな雰囲気だった。
ハシナ政権が倒れデモ隊と警察の武力衝突は一旦避けられ、インターネットも復活したため「今回の出国は早とちりだったかな」と思っているうちに飛行機は焦ったように、ガタガタしながら離陸した。「ゆっくり準備してから飛べばいいのにー」と私は呑気だった。
しかし、ムンバイに到着してからダッカ空港が一時的に閉鎖されたことを知った。私が離陸した1時間後のことだった。空港に残された人々は空港にも入れず、空港からも出られず、もし私がそこに取り残されていたらどうなっていたか。想像もしたくない。ゆっくり準備する時間がないからスタッフは焦っていたのだった。
また、後からことの深刻さを実感した。

ムンバイに到着

ムンバイに到着してからは報告を受けた家族、友達は安心し喜び、彼は空港まで迎えにきてくれた。本当に私だけでなく、みんなにとって緊張の脱出劇だった。
彼の顔を見てから安心して緊張が解け、いきなりどっと疲れを感じた。そして何より嬉しかった。と同時にまだダッカにいる同僚や家族を思ってモヤモヤもした。嬉しいけど飛び跳ねて喜べない感じ。
ただ、彼の温かい対応とそれに自分ごとのように感謝してくれる家族や友人の様子を目にし、今回の脱出劇だけでなく、私は普段から同僚、家族、彼、友人など多くの人に想われ支えられていると実感した。そしてムンバに来ても私はバングラデシュを想っている。だから状況が落ち着き次第、きっとバングラデシュに戻ろうと思った。

ムンバイの空港に着いて、ものすごくホッとした

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