リリのスープ 第十二章 風の中の歌声
スープの評判は、やがて町中に広まった。
朝の市場での様子が、人伝いに流れて、自分も一度は飲みんでみたいという人が、後から後からやってきた。
リリは、毎日スープを作り続け、いまや、町でこのスープを知らない人はいないほどになった。
遠くは、隣町からもやってくるようになった。
リリとナディンは、自分たちが作れる分しかできなかったので、多く頼まれても断ることもしばしばあった。
けれど、そんなときでも、町の人たちは、快く待ってくれ、よく理解してくれた。
自分がやれることが、誰かのためになっていて、それが大きなことでなくてもやり続けられることが一番幸せだと思った。
そして自分にできることが限りあるということも、大切なことの一つであった。
無理せず自分に優しくすることは、人のためでもあった。
リリのスープつくりは、終盤を迎えようとしていることを、感じていた。
もう少しで、帰る資金が整うからだった。
町の人たちのことを思うと、このままここでスープを作っていたほうが良いのではないかと思ったりした。
そして、スープつくりは、リリにとっても励みとなっていた。
これほど、自分のやっていることが、誰かに必要とされ、また誰かの大勢の笑顔に繋がっていることがかつてあっただろうかと思った。
自分にとっても、スープ作りを通してこの町で出会った人たちは、貴重だった。
まさか、自分がこんなことが出来るなどと思ったこともなかった。
けれど、いまは、家族のもとへ帰りたいという一心で、ここまでがんばってきたのだ。
その気持ちを変えることはできない。
「その気持ちを見失ってしまったら、わたしは、また元の何もない人生になってしまうわ」
リリは、そう自分に言い聞かせるようにして、その日もスープの仕込をしていた。
出かける時間になっても、ナディンが、起きてこないので、声をかけてみると、
苦しそうな声で、かすれるように言った。
「頭がいたくて、とてもあついのよ」
額を触ってみると、とんでもない熱だった。
急いで氷枕を作って、おでこを冷やしたが、苦しそうなナディンの様子はあまり変わらないように見えた。
リリは、町の医者をすぐ呼んで、きてもらうと、医者は、首をかしげながら、
「風邪だと思うので、二三日、様子をみましょう」
と薬をくれた。
リリは、すぐに処方して飲ませてみたが、ナディンはうなったままだった。
リリは、看病しながら、このままどうしようかと思った。
こんなナディンを一人にして、市場にいくことはできない。
昨日仕込の終わったスープがあったが、今日も、お休みするしかないだろうと思った。
毎日のように、スープを作ってだしていたので、ゆっくり家にいて休むのは、久しぶりだった。
市場へでかけるようになってから、初めての休みだった。
ナディンに、あたたかいリゾットを作ったりしながら、時々冷やしたタオルを替えてあげたり、リリは一日中看病した。
そして、ナディンは、そのまま二日間昏々と眠り続けた。
時々起きては朦朧とする意識で水を飲み、何か口にしようとしたが、すぐにそれもできなくなりまた眠った。
いくら看病していても、市場のことが気になって仕方ない自分がいた。
本当は、市場にいってスープを売りたい。
それは、お金のためというよりも、自分がそうしたいことだったからだ。
市場に行くようになってから、誰かに必要とされている気持ちがして、毎日が充実していた。
家族といるだけのころとは違った、生活の充実感だった。
子供たちを遊ばせて、ご飯を食べさせ、彼らが甘えてくるのに応えてそうやって過ごしていたときも、自分が生きていて誰かに必要とされているという気持ちが沸きあがっていたが、いまは、それよりも、もっと誰かのためにというより、自分がやりたくてやることで、誰かの幸せになっているということが何より嬉しいのだった。
だから、ずっと家にいたときの自分と重ね合わせても、いまは充実感ありあまるほどだった。
ナディンは、しばらくして、薬が効いたのか眠っていたが、ふと目を覚ました。
あたりを見回してから、リリをみて、どのくらい眠っていたかと聞いた。
「丸二日くらいね」
そういうと、ナディンは、時計をみて、針が10時をさしているのをみて、急いで起き上がろうとした。
「大変、市場が終わっちゃう」
そういうと、リリは、ナディンの肩をつかみながらベッドに戻るように言った。
「今日は、仕方ないわ。お休みにするしかないもの」
自分でもとても残念な気持ちだった。
休んだことのない自分たちが、すでに三日も休んでいる。
リリのスープ作りに対しての気持ちをナディンはよくわかっていた。
「わたしのせいで、休んだんでしょ。置いていけばよかったのに」
と言おうとしたが、ナディンはリリが自分の側にいてくれた優しさを想い、
そっと、涙ぐんだ。
まだ熱が下がっていない熱った頬と、潤んだ目のナディンをみて、
リリも、何も言わずにそっとベッドに腰掛けていた。
昨日の分のスープが余ってしまったことだけが、心残りだった。
明日は使えないわ。
捨てるのももったいないし、と考えながらぼんやりと外をみていると、風の音の中に、人の歌声が混じっているのが聞こえた。
その歌声は、だんだんと近づいてくるようだった。
リリは、ナディンと顔を見合わせて、その音のする方をじっとみた。
すると、明らかに大勢の人たちの声が、この小屋に近づいてくるのがわかった。
リリは、窓をあけて、外をみると、たくさんの人の行列が、こちらに近づいてくる様子だった。
そして、その人たちは、みな市場でみたことのある人たちばかりだった。
すぐにリリは、玄関のドアを開けると、男たちのその歌声も、止まった。
驚いたリリが、立ち尽くしていると、市場にいていつもみんなの面倒をみている漁師の親方らしき人が言った。
「あんたさんたち、こんなところにいなさったんかい。
わしらは、あんたさんたちの作るスープを毎朝楽しみにしとったんよ。
顔を見せんようになってしまって、聞いたら、病気だっていうもんで、こうしてわしらにできることがあればと
やってきたんよ」
みんな陽にやけていい顔をした人たちが笑っていた。
リリは、驚きのあまりそれをみて、口が利けなくなってしまった。
だまって、ありがとうというと、奥から昨日作ったスープを持ってやってきた。
そして、そこにいた人たちに無償で配ろうとしたが、誰もが、3ぺスを払って飲んでいった。
そして、みんなが手に手に持ってきた魚や、野菜の残りなど、スープに使えそうなものを大量にくれた。
親方はみんなの気持ちを代表していった。
「わしらは、あんたたちのスープの大ファンになってしまったようじゃ。
だからあんたらがこれないときは、こうして足をはこばせてもらうがいいかの?」
リリは、ただただ頭を下げてお礼を言った。
最後の一人が遠く見えなくなるまで、リリは見送りつづけた。
とても、不思議な気分だった。
自分のスープで、ああして人が来てくれるのかわからなかった。
不思議な中に優しい風が吹いていた。
いまの自分にはわからないことも、きっといつかわかるときがくるように思えた。
季節は、もう夏にかかろうとしていた。
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