リリのスープ 第十四章 隠してあげる
大会まで、五日後に迫った朝、リリは、ちょっと出かけてくると言って小屋を出て行った。
ナディンは、あれからリリとちゃんと話していない。
リリは、いつもぼんやり上の空のようにどこか遠くを見つめていることが多かった。
ナディンは、そんな彼女のことをそっとしておいた。
大会は、着実に迫ってきていたが、そのために自分たちができる特別なことはなく、
ただ毎日スープを作り、市場へとでかけてゆくだけだった。
リリは、スープを作っているとき以外は、ときどきはしゃいだり、おちゃらけて喋ったりしていたが、
親友のナディンには、それが、何かを隠すかのように、何かから目を背けるかのようにしているのがわかった。
だから、どうして大会にでようと思ったのかさえ、言えないままの彼女をナディンはしばらく見守るしかなかったのだった。
でかけたリリがしばらくして戻ってきた。
そのまま、二人は市場へと出かけていった。
しかし、もうすぐ市場に到着するというとき、リリが突然に叫んだ。
「ああ!!
ナディン、どうかあたしをブッてほしいのよ。このままだとどうしても心臓が口から出てしまって、呼吸困難で死んでしまうわ!」
と言ったので、ナディンもびっくりして、
「何よ、どうしたっていうの?あなた」
最近、変よ!といいかけてやめた。彼女はいまそれどころではないというように、こっちの声が聞こえていないようだ。
「ああ。あたしったら、どうしたらいいかしら。
今日は、とてもスープを売ろうなんて気になれないわ」
といった。
「あのね、あなたがどうしてそうなっちゃったのか、ちゃんとあたしにもわかるように順に話してくれないと何も言えないわよ」
そういうと、りりは、こくんとうなづいた。
「そうよね。順に話さないとね。
あたしね、今朝でかけたでしょ?そしてね」
「ちょっと待って。あなたにとっては、そこが大切かもしれないけれど、あたしにとっては、どうしてあなたが急に大会にでるなんていったのか、どうしてその後、力がぬけたみたいになっているのか、そして今日どうなったのかを、全部ふくめて
ちゃんと聞きたいのよ!」
ナディンは、力いっぱい言った。
いつも何かと我慢することの多かったナディンにとっては、今日の言葉は自分でも物言いがハッキリして、言えずのことがすんなり言えて気持ちよかった。
リリは、驚いたように、こっちをみて
「あなたそんなこと思っていたの?いいえ。そりゃそうよね。あたしの親友だもの。だってあたしったらあなたに相談なく事を決めちゃったんだもの。当然だわ。
けれどね。ナディン、言わせて欲しいの。今日のことと大いに関係があることなのよ。
あたしにとったら、どれをとっても自分の心に正直にしたがったまでのことなのよ。
だって、それもこれも、旅も全部のことなんだから」
相変わらず、何を言っているのかわからなかったが、きっと彼女もいまは動転していて、自分で必死に立っていようとしているに違いないとナディンは思った。
「それで、どうしたっていうの?あなたをブッてだなんて」
いままで何度打とうとしたか、と心の中で、毒づいた。
リリは、またゆっくり深呼吸しながら、話そうとしている言葉を整理するように一点をみつめていた。
そして、おもむろに、口をひらいた。
「あのね。今朝、あたしはね、手紙を出しにいったの」
「誰に?」
リリは、ゆっくり言葉を選ぶように。
「デイのお母さんよ。きっと、いま子供たちのことみてくれて、家にいると思ったから」
ナディンは驚いた。
「どうして、彼のお母さんに手紙なんてだしたの?」
リリは、今にも泣き出しそうな顔をしながら、いった。
「いままでのことすべて書いたわ。あたしたちが、旅にでたってことも、そして全財産が流されてしまってその資金をつくるために、働いているってことも全部よ。何も嘘偽りなく、全部書いたの」
ナディンはもっと驚いて、口が利けなかった。
「『わたしは、いままでのデイや子供たちとの生活は、誰か他の人の人生を生きているような気がしていました。
愛しているはずなのに、その愛さえも見失っていくような、とても自分や生活のすべてに自信も、確かなものも感じられなかったのです。あなたの息子デイを心から愛せないと思って、家を出る決心をしたのです』って書いたわ」
「なんてこと、書いたのよ!
だって、あなた、デイに嘘までついて出てきたのに、どうして今頃になってそんなことをいうのよ。
しかも、それをデイに伝えるんじゃなく、どうして義母さんに話すの。
あなたいったい、どうしちゃったの?」
リリは、目に涙をいっぱいためている。
「だって、黙っていられなかったの。
それに、お義母さまは同じ女性として、きっとわかってくれると思うわ。
自分でもおかしいと思うけれど、どうしてもいいたかったのよ。あたしはね、いままで何も無く、その日一日一日を子供たちと過ごしてきたわ。けれども、それがどんなに素晴らしいことなのか、自分でもわかっていなかったの。
決して自分じゃ、わがままだと思っているわけじゃなかったけれど、こんなあたしだから、愛する人たちからは自分のことをよく知ってもらいたいのよ。
デイにも、そして彼をお産みになった、義母さまへも。
デイといる日々は、何もなくて、つまらないものだと信じていたわ。きっと運命の人は他にいて、誰かがわたしをこの狭い日常から連れ去ってくれるのではと思っていたの。けれども、ここへきて、このたびの中で、ようやく見つかったのよ。
あたしは、新しい自分と出会ったの。このあたしをデイやお義母さまにもみてもらいたいのよ。
誰かがあたしを幸せの国へ連れ去ってくれるわけではないのだわ
誰といたって、あたしの最高を自分がわかっていたら、幸せだと思うわ」
リリは、大きな目を見開いて、こっちを見つめていた。
ナディンは、リリの話を聞きながら、自分でもわからない場所を漂っているような感じがした。
「あのね。わかったわ。じゃあ、それを伝えたくて、手紙をかいたの?」
「ええ、そうよ」
ナディンは、少しのため息をつきながら、
「それで、あなたはどうして取り乱しているの?」
そういうと、リリは、目をつむり、ゆっくりと呼吸を確かめるようにしてから、
「それでね、手紙の最後にこう書いたの。
あたしは、あなたの息子デイを心から求め、愛しています。
そして、自分が家族との日々をつまらない日常にしてしまって、子どもたちまでおいて、旅に出てしまった母親だけど、
一つ、提案がありますって」
「提案って、なによ?」
「もう一度、あなたの息子デイや、子供たち家族が、私を受け入れてくれるなら、どうか、大会を見に来てください。
私は、あなたたちに恥ずかしくない最高のスープを作って、必ず勝ちますから!って、書いたの」
「ええ!!」
ナディンは、絶句してしまった。なんてことを言っているんだ。
「本当に大会で勝つつもりなの?」
リリは、うなづいた。
「あたしね、自分がどれだけ毎日みじめな女だろうと思って暮らしてきたのよ。
けれど、主婦の自分が何も無いだなんて思っていたのは間違いだったんだわ。
いいえ、お家で作っていたスープが皆に受け入れられて、自分がやってきたことが間違いじゃなかったとわかったのよ。
そしたらね、旅をおえて、元の家に戻ったときに、元のあたしに戻るのではなくて、この感動をもっと多くの人に伝えられるようになりたいと思ったの。
何も無いといって、デイへの不満を口にしていた自分ときっぱり別れるために、大会に出ることにしたのよ。
賞金のためじゃないの。
優勝してたくさんの人にスープを知ってもらうことが、元の自分との最大の決別になると思ったのよ」
リリは、誇らしくいった。
その様をみて、ナディンはリリのたくましさと、無鉄砲さに力がぬけてゆくようだった。
ナディンは、飽きれてしまった。
「何がわかるっていうのよ。
あなた、自分の息子が結婚して、哀れ、奥さんに出て行かれたらどう思うのよ。ましてや、運命を探す旅だなんて。
そんなお嫁さんは、あなた好きになれる?
お義母さまは、自分の息子に嘘ついて、運命の人を探す旅をしに出て行った嫁を許すと思うかしら。
お怒りにならないはずないじゃない。
それに、共犯者も一緒なのよ。デイだって、そんな嘘をしったら・・・」
とナディンは、言葉を溜めてから、
「あなたは、デイのそばにいるべきよ」
と小さくポツリと言った。
リリは、涙がこぼれないように、必死で唇を結んでいた。
「わたし、今まで自分は、何も無い不幸な主婦だと思ったの。
道を歩いていても、ウィンドウにうつる自分の姿をみていても、どこか寂しげな顔をして
まるで、自分じゃないみたいな気がしたわ。
そんなときに、自分を許す旅をしたいと思ったの。
誰かから、強制されるでもなく、何かのためにやるのでなく、自分が自分を許せる旅をしたいと思ったの。
このくすんだ毎日から抜け出せるのは、運命の人を探す旅だと思ったわ。
その人といられれば、きっとわたしは、自分の本当の輝きを取り戻せると思ったのよ」
ナディンは、ため息をついた。
「それが、根本の間違いだったって気がついたってことなのね?」
「ええ、そうよ」
「だから、自分のすべてを相手にさらけ出して、許してもらおうと思ったっていうの?」
リリは、ちょっと考えてから、
「それは、ちょっと違うわ」
「なにが、違うのよ」
「あたしはね。相手はどうでもいいのよ。問題はあたし自身にあったの。自分の罪を認めるとかどうとかではなくて、
あたしが、自分をこの旅で、どれくらい許せたかってことなの」
「あなたが許すって、どういう意味よ」
「あたしは、日々の自分の生活を振り返って、なんてわがままで自由で気楽なものだったかって思ったの。
けれど、それを不幸と思っていたわ。だから、こういう旅にでたのだし。
けれどね、それを不幸だと思わない自分がいたら、旅もなくて、今あるスープの大切さにも気づかなかったと思うのよ。
問題は、あたしだったの。
あたしが、ぜんぶ自分で自分を許さなきゃいけないの。
相手が、あたしをどう思おうが、関係ないのよ。そりゃ子供たちには、関係なくはないけれど。
けどね、あたしは、自分が行ったすべての思い込みやら、過ちをこの旅で終わらせたかったの。
そして、本当の居場所に帰りたかったのよ」
「あなたの言う本当の居場所って、要するにデイのもとへってことでしょ?」
「ええ、そうよ。けれど、これだけは言わせてちょうだい。デイの元へ帰るのは、今までのあたしではなくて、自分に許された私よ」
「あなたが自分を許せば、デイも許してくれるというの?」
「そうは、言ってないわ」
「じゃ、お義母さまは、許してくださると思うの?」
「そうでもないわ。あたしが、彼女に手紙を書いたのは、自分を許すってことを宣言するためよ。
いままでの一番大きな過ちは、自分を偽っていたことを人のせいにしていたことだわ。
そして、それが、何よりデイとの生活を危ぶんでいた自分がいたのよ。
この人といたら、自分を見失ってしまうって。
けれど、そうじゃないわ。いくらでもわたしは、あたしの人生を決められるわ。
自分でいうのもなんだけど、あたしって本当はもっと前向きで、外に出て、人と会ったり社交性があったのよ。
それすらも、毎日の中で忘れてしまっていたの。
本当の自分は、もっとお転婆で、理由がないくらいに、泣き虫だったりするのよ」
ナディンは、考えてしまった。
「それじゃ、あなたは、自分の過ちを認めれば、相手がどう思おうといいってことね?
もしお義母さまやデイがあなたを許さなかったとして、それでいいってことね」
リリも、さすがに少し考えてから
「相手があたしを許さなくてもいいってことはないわ。
本当は存分にわがままなあたしを、許してほしいわよ。
けれど、もしそれが叶わなかったら・・・」
と言って、唇をなめた。
「今あるあたし、そのままで生きていくしかないじゃない」
「それって、このままこの町で暮らすってこと?」
「それはわからないわ。大会が終わってから決めるわ」
「デイに会いたくはないの?子供たちには?」
リリは遠くを見ながらいった。
「自分を偽って暮らせるほど器用じゃないのよ。
もし、大会に誰も来てくれなかったときは、あたしに戻る家はないってことよ。
でも、それでも、彼らが来てくれるんじゃないかと信じている自分がいるの。
これは、賭けじゃなくて、確かな望みなの。
手紙を読んだお義母さまが、怒って破り捨ててしまわれるかもしれないわ。
それでもいいの。
自分に正直でありたいの。
あの土砂にすべて流されたときに、自分のものなんて、何一つ持っていなかったわ。
自分を隠すものなんて、何一つ持ってなかったの。
裸と同じだったわ。
だから、今のあたしを隠せるものなんて、
何一つないのよ」
それを聞くと、ナディンもその意味がわかるような気がした。
自分たちは、一度裸になったのだった。
見知らぬ土地で、自分の何かを隠せるようなものなどない裸になったのだった。
ものがあって、ものに満たされていたときは、少しずつ自分が表にこぼれないようにと
何かで自分を覆って、そこに隠れていた。
しかし、なりふり構わず、誰か人の世話にならなければならないほど、すべてなくしてしまったとき、
自分たちにできるのは、自分の何かを隠すことではなくて、
自分たちが持っているものを外に出すしかなかったのだった。
手に入らない何かではなくて、すでに持っているを出さなければ、生きていけないのだった。
そんな体験をしてしまったからこそ、リリが、いま持てる自分のすべてのことや、何もかもを愛する家族に出したいと思ったのだろうとわかった。
嘘をついて、隠し通すことなど、もはや自分たちには、必要なくなってしまったことだった。
「言っていることは、わかったわ。そうは言っても、相手には、今までのリリしか知らないのよ。
あなたがどんな風に変わってしまったかってことや、やはり手紙をみて、あなたを理解してもらうってことは、
ちょっと難しいことだと思うわ。
叔母の農場にいたってことにすることもできたのに。
これでいいのね?」
リリはまっすぐみて、うなづいた。
「覚悟はできているわ」
取り乱していたリリはもういなくなっていた。
リリの優しい目線が、印象的だった。ナディンは、その横顔をみながら、自分に何ができるだろうかと思っていた。
大会の日、リリの家族が誰もこなかったら、もうこの家族はおしまいなのだ。
リリはそれでもいいと言っているが、本当は口にしない寂しさを持っていると思った。
子供たち家族を心から愛しているからこそ、口に出して言えないことがあった。
ナディンは、それとなく言った。
「もし、大会に誰も来なかったら」
リリは、見た。
「あなたが泣いているところくらいは、隠してあげる」
リリは笑った。
「ええ、そのときは、お願いするわ。
あたしは幸せものね。
すべて失ったけれど、すべてじゃなかったようだわ」
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