いちじくってなんかノスタルジックな気持ちになるんだなぁ
いちじくの季節になりました。
昔は実家にいちじくの木があって
熟れたの見つけたら、もいで食べてた。(お行儀わるい💦)
実家には
じいちゃんの趣味?でいろんな実のなる木があった。
柿、びわ、いちじく、なし、キンカン、みかん
などなど
懐かしい。
それらの実にはいろんな思い出が詰まってる。
スーパーで見かけると
その頃の思い出をふっと思い出す。
いちじく、金柑、びわは
今はなかなかの高級品でなかなか買えないし
買ったとしても味が全然違ってガッカリすることが多い。
昔食べた果物たちの美味しさを味わうことができない。
でも先日、
とっても美味しそうないちじくが売ってたのを見つけた✨✨
近所のスーパーのものとは全然違う。
思わず手に取り購入。
美味しかった✨✨
また近くに行ったら寄ってみよう。
ノスタルジックな気持ちに浸りながら
中学のころの出来事を思い出す。
わたしは友達にごめんねごめんねって言うのが癖?!だった。
たぶん嫌われたくなくて
(いろいろあって、家のお大師様にずっとお願いしてた時期あった)
んで、何かあったらごめんねを語尾につけてた気がする。
ある日
友達に
「自分をそんなこといちいち気にする奴だと思っとるんか?」と怒られた。
その時は怒られた意味がわからなくて
その子とは疎遠になってしまった。
その時はわからなかったけど
『ごめんね』って言葉は
なかなかの言葉だと今は思う。
ほんとに謝らないといけない時はもちろん『ごめんなさい』だが
口癖で言われると
たしかにモヤッとする
今になって
その子の気持ちがわかるようになった。
今でもついごめんねを言いそうになるけど、やっぱり言っちゃうこともあるけども
わたしが使ってたごめんねは
言い換えれば、『ありがとう』に言い換えれる。
たぶん。
その頃のことは忘れたけど。笑笑
それで先日、『ごめんね』を使いまくる友達に
『ありがとう』と言ってくれた方が嬉しいよと言ってみた。
ほんとは
転ばぬ先の杖の話は聞きたくないんだけどね💦
悩みの話聞いて真剣に聞いてたら
結局、なんの問題なくて疲れる💦
それこそがわたしの課題なんだろうな。
彼女の問題を自分の問題のように考えてしまう。
ただ聴く。ができんのよね。
いらん感情が動く。
聴講できる心療内科の先生やカウンセラーの方々をほんま尊敬するわぁ
ただそれが課題とはいえ
やっぱりこちらの状態が沈んでる時は
きつい。
すこーしだけ距離をとって
わたしはわたしに向かおう。
この思い出はしょっちゅう思い出すんだけど、
もしかしたらそろそろ手放す時期なのかもしれない。
記事を書きながらそんなことを思う。
さて、今日も1日楽しもうかな。