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【メモ】"ポエトリーシェアリング" について


わたしが提唱している「ポエトリーシェアリング」



七彩個人としての詩作活動と並行して、ポエトリーシェアリングを大事にしている理由についてメモを記します。









詩を介して知り合う



ポエトリーシェアリングでは
"心でコミュニケーション"することなる


わたし自身、 上辺のコミュニケーション がしんどい

→ 社会生活上ではそれがほとんど
 呼吸が浅く、軽い酸欠の日々
 (その感覚にさえ長年マヒしていた)



実際、ポエトリーシェアリング中は呼吸が楽だし、体までほっこりと温まってきます。


出会い方って大事、

関わり方も大事。



現代は "自力で考えること、想像することを拒否している"


外からの情報ばかりに埋もれとらわれる
自らの内側を無視スルーする毎日


昨今は、冷笑の時代
ひやかし


書くこと

自分の感覚を信じることが必要
詩はそれを信じないと書けない


自分の感覚に自信がなくなる 社会(世の中)


詩作は自分の心の感触を確かめるリハビリになる


詩の定義考えなくてよい
詩のようなもの で十分




読むこと


詩は想像力を働かせて読む(感じる)もの
働かせないと読めない
推測・推察 が必要


正解か不正解かで分けたがる
想像力を行使しにくい時代
(ひやかし・冷笑)


誰かを悪(異常)とすることで
自分は正常ですよと
自分を守ってる




自己表現は大声でやるものだけじゃない

わたしは声が通りにくいのが、子どもの頃からのコンプレックスでした。
大きな声でハキハキ喋りなさい と言われるのが辛かった


詩を読む→
沈黙の中の静かな息に耳を澄ます

陽のタイプの人もいれば、
当然、陰のタイプの人もいる


静、陰 の表現に
周波数を合わせる時間
→深い息ができる



ポエトリーシェアリングは…


大まじめに詩を語り合う
白昼堂々


そこに大きな意味がある


社会では無意味とされるような行為
「生産性がない」


何のために生まれてきた?
人生は一度きり、ぶっつけ本番


いわゆる生産性がない、
道端、隙間 にこそ
人間らしい 原始的な
真理がある






メモはまた増えていくかもしれませんが、一旦備忘録としてnoteに投稿しておきました。



書き起こしてみて改めて、生きづらさというかしんどさから解放された自分の経験が下地になっているのがよくわかりました。


現在、わたし個人の体調等の都合により、ポエトリーシェアリングの定期的な活動は休止しています。


活動は落ち着いたら再開しますが、ポエトリーシェアリングは必ずしもわたしが主催する必要はなく、どこでもだれでも気楽に開催してもらえたらと思います。


ご希望があれば、進行のしかた等を具体的にお伝えできますので、お気軽にご相談くださいね。



ナナイロの泉結成当初、ポエトリーシェアリングを「癒文(ゆもん)の泉」と名づけていた頃のものですが、唯一のYouTube動画を貼っておきます。





当時から数年を経た今、多少スタイルの変化はあれど、活動の理由など根幹の部分は変わりません。


最後までお読みいただき ありがとうございます。



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