正しい幸せ

あ、今年初記事か。

久々に完全寝ないで過ごしてしまった。
生来付き合っている不眠症状(ただだらしないだけ)そのものに対しての悲観はましになった。ことにしておくけど。

やっぱりいつかは、「家族という幸せ」に与しないといけないんだな。皆と一緒になってそれを賛美しないと。それが、きっと未来永劫の「正しい幸せ」である以上、私も心からそう思えたならよかったのだけど。

別に不幸な育ち方をしたわけではない。ただ、自分しか愛せない、それでも生きていけるほどのスキルもない、なので当然友達もいない─関わるのは精々家族だけ。
そんな私に何の希望があろうか。

未だ、実際とは真逆の理想の自分になれるのではないかと、一日中寝転がってSNS眺めながら夢想してしまう。
「理想の自分」を具体化し始めたのだって、もうおばさんになってしまった、ごく最近のこと。あまりに痛いから具体的な内容は伏せるけど。

「大人」になるのを未だ恐れているのだ。大人は完璧で、端正で、善人でなければならない。決して弱みや欠点は見せられない。自分の至らなさなんて、自分以外のせいにしておかなければとても堪えられない。自分が大切だからこそ鍛える?どうせ必ず衰えて、無力を自覚するだけなのに?

こんなのが「家族の一員」になれるなんて、とても思えない。私の体感では、私の家族は私だけだ。

ネットはそんな「根っから何もない人」の現実を忘れさせてくれる唯一の場であった。勿論こんなのとずっと付き合ってくれる人もいないけど。
そのまま20年も浸かってしまっては、今更少しでも離れるなんて考えられない。
私にとっては、愚かなままでいさせてくれる依存の幸せこそが正しい幸せ。

ある意味、ネットがなければ、こんな「どうにもならないこと」を垂れ流すまでもなく─年老いる前に、もっと一人静かに死ねていたのだろう。

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