
『花束をもらうより、誰かや何かと育てる花がいい』
「愛」ってなんだろう?
もらうものでも、あげるものでもある気もする。
でも、それだけじゃないとも思う。
育てる『愛』が好きだ
なかなか芽を出さない種に毎日適量水をやる。
日照りの日も、大雨の日もあるだろう。
栄養剤はこれでいいのか?温室を建てるべきか?あーじゃない、こーじゃないと、小さな種を想う日々。
もしかしたら、あなたが大切にしている種を一緒に大切にする誰かもいるかも知れない。
そして、そんな誰かと種を想って喧嘩もするかも。仲良く見つめる日もあるだろう。
芽が出てからも苦労の連続。枯れてしまう事もあるかもしれない、虫にくわれる事もあるかもしれない。
それでも、ちょっとずつ芽が伸びて、蕾がついて、柔らかな日差しに花ひらくとき、きっとあなたは愛に包まれている。
その花の種が、また誰かの愛になっていく。
美しく育てたられた花を束でもらえるということは、とても素敵なことだと思う。それも1つの愛だと思う。
でも、私はどうせなら、種から育てた花が見たい。
「愛」って言うとどうしても、恋人とか、夫婦とか、親子とか、そういうイメージだけれど、そうじゃなくて、同僚とか、街で挨拶する誰かとか、なんならネットの友人とだって、私は種から育てたい。別に人じゃなくても、大切に想うものなら育てたい。
育て方は決まってないけれど、それぞれ想い大切にしたら、それそのものが「愛」なのだと思う。そして、そんな風に想われて「咲いた花」は愛を誰かに届けられるものになる。
たんぽぽみたいに綿毛になって、ふわふわ遠くまで届けばいい。優しい気持ちの誰かたちの「愛の始まり」が届けばいい。
どんなに土が良くても種だけでは花開かない事は忘れてはいけない。
土壌が良いからいいだろってする人をたまに見かける。ほっといても伸びるだろって。
それはない。「愛の種」は誰かの手を借りて、想いを感じて花開くんだもの。
それから「早く花が見たいから」なんて、焦って、栄養剤を過剰に与えたり、種に辛い気持ちを押し付けるのも良くない。種が芽吹くのにどれだけ力を使うのか、考えてあげてほしい。
実際、植物が種から芽吹くのも花をつけるのも、凄く力を使う。
それは「愛の種」も同じだよ。凄く力がいるんだよ。
お日様や、雨、風、飛んでくる虫達、近くを歩く動物、見守ってくれる優しい手。
沢山もらって、種じゃなくなるの。
「愛の種」も同じだよ。どんなに恵まれていようと、それを感じられなきゃ駄目になる事もある。
そんな風に一筋縄ではいかないけれど、小さくても咲いてくれると嬉しいの。
小さな一言が集まって咲いた花もあるし、凄いインパクトを受けてドンッとひらいた花もある。
沢山の人や物が、沢山の想いが、咲いては散ってを繰り返す。
あのね、人間とじゃ駄目なら、森とか海とか、他の動物とかでもいいの。物でもいいよ。
育てるのに決まりはないのよ。
上手く全部は伝えられないけれど、私は誰かや何かと育てる花を見たい。そう思う。
あなたは私と花を育てた感覚はないかもしれない。
ただ、立ち寄って覗いただけかもしれない。
それでも、その立ち寄ってくれたんだということが私にとっては嬉しくて、育てるのには充分だ。
種も様々だからね。本当に、じっくり、ゆっくり、かけないと駄目なものもあるよ…。
どんな「種」なんだろうって考えてあげるところからスタートだよ。考えて、寄り添って、一緒にね。そう、一緒にね。
ここに立ち寄ってくれて、ここまで読んでくれたあなたに『有難う』
何も芽吹かない事が不安で、悲しくて、悔しいと思っているあなたかもしれない。
そんな時は育てるのをお休みして、お茶を1杯いかが?
それから、考えたっていいじゃない。いいのよ。そうしましょう。私も荒れ地だったわけだし、まだ残ってるしね。
それでも懸命に咲いては散ってを繰り返す「愛」を横目で見てしまえば、なんだかんだで息は続くよ。
立派な温室があるわけでも、腕のいい庭師がいるわけでもない私の心のお庭には今日も誰かや何かと育てた花が、小さく強く揺れている。
いいなと思ったら応援しよう!
