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読書感想文『変身』
私が参加させてもらっているサークルの板で教えてもらった本『変身』フランツ・カフカ作を読んだ。
私としては面白かった!
せっかくだから読書感想文として記事をあげようと思う!
きっと長いし、まとまらないので暇なときに読んでいただけたら幸い。※以下ネタバレもあり&虫について文字のみだが書いてあります
「まず、虫だとして種はなんなのか」
私の興味は最初、主人公が虫(と思われるモノ)になってしまったことより、どの種の虫になったかに集中した。
文章を読み進める毎に、特徴が出てくるが、どうも輪郭をつかめない。
どうやら甲虫類だろうと辿り着くも、粘液を引っ張り歩く甲虫など私の知識にはいない。チーズも、ダンゴ虫や蛆虫は喜ぶが、甲虫類が食べるとは聞いたことがない。しかし虫達が臭いの強いものが好きなのは確かだ。
壁や天井を廻る、顎が強力な辺り皆が嫌いなあの虫を思い浮かべるが、ベッドで揺れて落ちる所からするともう少し硬そうだ。因みに、虫は基本前進しかできない。故に○キ○リホイホイは理に適っている。
そして、大きなお手伝いおばさんは彼を「カブト虫おじさん」といったところで私の謎は深まるばかりだ。
カブト虫?カブト虫だと、グレゴールサイズになったら多分ソファーの下には入り込めない。厚みがあり過ぎる。それにおじさんというからには角があるのか?尚の事ソファーの下には潜れない。カブト虫じゃなくてクワガタなんじゃないの?でもそれならそんなに頭をぶつける事を気にしないかな…頭も硬いもの。そういや、翅はあったんだろうか?
私はとりあえず黒々として瞳の可愛いちょっと頭の長めの平べったい甲虫類を思い浮かべることでお茶を濁した。多分、『この虫』というのはなくて色々混じった姿なのかも。
そう思って想像すると、頑張ってドアを開けたり、人の気配でソファーの下に潜ったりする「虫」としてのグレゴールに愛着がわく。私は虫が好きなのだ。いつも指先サイズの彼らをみて微笑んでいる。起き上がれず頑張る虫達は可哀想だが、慌ててる姿がコミカルでクスッとしてしまう。だから、ちょっとサイズの大きくなった虫としての彼だって微笑ましく思ってしまったのだ。そして、ベットで布団をずり落としながら頑張る虫を想像して笑ってしまった。
しかし、次の瞬間ゾッとする。彼は人間だ(正確には人間だった)
私はすっかり虫の体の方に集中していて、まるでファンタジーな絵本を読んでいる気持ちになっていた。心の中でそっとグレゴールに謝った。
彼は人間である事にこだわっているようだ。当たり前といえば当たり前だが、人間らしいなと思う。
人間は人間であることに執着していると思う。
彼は一見家族愛に溢れるようで「共依存」なんだろうなと私はおもった。「こうでなければ」とか「これはこうだ」とか、決めつけている。
周りの人にしたって、皆「そういうもの」という枠に囚われている。
人間らしい。
考えて生きているからこそ、考えの鎖に囚われるんだなと思う。
徐々に虫らしくなっていくグレゴール。徐々に人間の扱いをしなくなる家族。それはとても乾いていて残酷だ。
人間は肉体に敏感だ。私はそう思った。
肉体に精神を乗っ取られているみたいだ。
実際は精神が肉体を使っているはずなのに、グレゴールは虫の体に慣れ、思考さえ虫よりになっていく。
しかし、虫の体で人間のように立とうなんてするもんじゃない。何処かで人間らしさが残るグレゴール。虫の体は人が思うより繊細なのだ。ひっくり返ってたら死んでしまうくらいには。
窓辺に置いた机の上を這う虫を観察する作者を思い浮かべる。それは私の勝手な想像だけれど。
読みすすめながら、作者のカフカは私と同じように部屋に入ってきた虫を眺め観察した事があるなと思った。
指先で突き、時に残酷に殺し、かと思えば彼らのチャーミングな動きに微笑んだに違いない。
空いていない窓の枠をウロウロして、たまに足をツルツルさせながら窓に自分の体を立てる虫は、人間からしたら「外に出たいよー」と言っているようだ。グレゴールが窓の外を眺めるシーンはきっとそんな虫達を観察したからな出てきたんだろうなと勝手に思う。
そして、何処かで「小さく弱い何もできない存在」と思っているんだろうなぁ。
人間はそうじゃないとも思っている。ただ毎日を懸命に過ごすだけの虫のような生活は良くない事だと思ってる。使命があり、守るものがあり、誇りを持って生きてこその人間だと思ってそう。
同時に、仕事や責任に追われる人間生活に嫌気がさして、虫に憧れも抱いていそう。
でもそれを言うのは憚られるから、ネチネチと作品の主人公に愚痴を言わせているに違いない。
しかし、それだと作者の自分がまるで、駄目人間みたいに思われるから、前を向く家族も描いてるんじゃなかろうか…なんて思う。
(私の中のカフカはデモデモダッテさんかも。1作品だけしか読んでないからわからないけど、人間の事はそんなに好きじゃなさそう)
グレゴールがやたら苦労人というか、長男として頑張り過ぎというか、報われないし、中途半端な虫人間だ。
グレゴールの愚痴は、労働している人間なら、きっと1度くらいは思うことで、それをあれだけの長ゼリフに込めているんだから、
普段から労働者が大切に扱われていない背景がありそうって思った。いつの時代も、馬鹿正直に働く人間は辛いのだ。
長年、長男として家族に尽してきたソレも数カ月供給が止まっただけで失われていくなんてグレゴールは報われない奴だなとちょっと可哀想になる。まぁ、彼が虫になっちゃったのが一番の不幸だ。虫じゃなく鳥だったら多分違ったかな。
しかし、グレゴールもただの家族愛に溢れる善人じゃないと思う。無意識に近いけれど女子供を見下してる(弱い存在と思ってる。時代背景もあるかな?)し、働かない父を駄目な人だって何処かで思ってる。『自分がいるから家族は成り立っている』といつまでも何処かでコントロールしたがっている。まぁ、親の借金のせいでグレゴールは苦労してるんだから、そう思っても仕方ない気もする。というか、そうでもなきゃ心が壊れちゃいそう。………壊れたから虫になっちゃったのかも。
どんどん虫らしい動きと心理になるのに、人間の自分に必死にしがみついてる。
虫であることも人間である事も中途半端なグレゴール。
若者は成長が早いね
家族の中で妹がもっとも早く醒めたんだなと思う。
母親も父親も何処か人任せ。
妹は自分で動くことで「何だ私にも出来るじゃん。なら兄がいなくても生きていけるじゃん」となっていったんだろう。たまに書かれるグレゴールへの妹の台詞はまるで気に食わないペットか何かにかける言葉のようだなと思った。
妹が最後の方でグレゴールを『化物』と呼んだ事で、ずっと何処かフィルター越しで投影していた兄は砕けたんだなと。でも、人間の姿の兄にはきちんと愛情を持っていたから、一番複雑な心境だったんじゃないかな。
グレゴールは最後の方まで人間らしい虫だった。本当の虫はもう少し自然体で生きている。面白半分に人前にはでない。人間に見つかる時、虫側は『行けるぞ』って思って出てくる。
人間からみたら、まるでこちらを驚かそうとしているようなタイミングの事が多々あるが虫がわからしたらうっかりだ。グレゴールもうっかり下宿人に見つかった。
でも、人間からしたら虫の突然の出現は嫌がらせみたいに感じたりもする。ワザとやってるみたいな時がある。
カフカからみた「虫ってこう思ってるでしょ?」ってのが詰め込まれてるなーなんておもった。
そういや、グレゴールは鏡を見ていない。部屋に鏡がなかったのか?それとも、、、
もし、私が朝起きてどうやら虫になっていると思ったら、鏡で確認したくなる気がする。人間の自分がうつっていたら安心するだろう。虫だったら………とりあえず触覚の手入れをする………落ち着くために。
でも、グレゴールはそんな事より前に家族に自分の姿を確認させた。
パニックだったから?
そうかもしれない。ただ単に、パニックだったのかも。自分が虫になってしまったなんて、普通にショッキングだ。
でも、自分の姿をうつす鏡を見ずにいるグレゴールは『今の自分の姿』を直視せず、過去の栄光や、自分の中の不満で隠し、他人に「それでもいいのよ」と言わせたいようなそぶりをとっていると思う。「弱った時の人間」そのものなのかも。
グレゴールが今まで「誇り」という人間の皮で隠してきた「傲慢さ」「卑屈さ」「憤り」…その他諸々が、身体が変わることによって溢れたんだなと思う。
実際、人間の身体だって松葉杖をついたりしたら、思うようにいかなくて苛立つわけで。
虫だけど虫じゃないグレゴールはとても、とても、人間らしい。
家族のさっぱりさは、なんかわかる。
下宿人なんて入れて、きっとどこかでグレゴールの事がバレる事を望んだんじゃないか?なんて思ってしまう。もう限界。そしてキッカケは生まれる。
グレゴールは最期埃をかぶっていたようだから、もう、本当に人間扱いされていなかったんだ。
家族は自分の良心が痛むからギリギリ世話していただけで、なんというかこれは正しいか解らないけれど介護疲れのようなものかもしれない。
疲れきって、もうヘトヘトで、その中で兄だと思って世話してきた物体が死んだ時、スッと開放されたのだろう。
だから、最後の最後は誰一人としてグレゴールの事を思い出さない。
まるで物語の中に一度だってそんな存在は出てこなかったかのように触れられていない。
グレゴールが死んだ後の文を読んでいた時、脱色されてやけに白い紙みたいな、なんかだか忘れているけど忘れたままでいいやと思うような、なんとも言えない空白を感じた。
クリスマス前からな春先まであった事は、無かったことにされてしまったような。悲しいとか、そういうものじゃなく、なんか「無」
家族はもうすっかり前を向いて、多分この先家族が増えて、人間だった時のグレゴールとの思い出話なんかに花を咲かせて、当たり前のように「兄さんはいい《人》だったわ」「そうね、あの子は勤勉な《人間》だった」何ていうんだ。虫だった数カ月は物語の最後みたいにこの世から消され、グレゴールが考えていた事なんて誰にも知られず、ただ時が過ぎていくに違いない。家族の中だけにほんの少しは残るのだろうけど……そうだといいと私は願わずにはいられない。
最後にやってくる「無」があまりにも「無」で、最後読んだ時に感想が一瞬「真っ白」になってしまった。グレゴールが死んだ時点であの物語も死んでしまったのかもしれない。非科学的な、あり得ない事は『存在の証明が出来ない』から、捨てられたら透明になってしまう。妖怪とか、お化けみたい。でも、グレゴールは確かに人間だったのにね。
カフカは「虫なんてこんなもんでしょ」って思いながら「でも実は人間の死も、肉体が虫だったらこんなもんでしょ」なんて考えてかいたのかしら。
「死」までも「人間らしさ」を求めているみたいに感じる。
見た目や、言葉が通じる事、世話をしなくて良いとか、お金を稼げるとか……実に人間らしい事が出来なくなったら、見捨てられてしまうのではという恐怖がそこにあって、
養う家族側からしたら、もう人間扱いもできないほど疲弊してるけれど、良心の呵責で世話して、こっそり「死ぬ」のを待っていて…
それってなんて「人間らしい」んだろと私は思った。
面白い。というか、人間ってこうよね。って私は思っちゃう。勿論、こんなダークな部分だけが人間じゃないのよ。でもさ、こうよね?そして、大抵現実ではこのダークな部分を無視するのだ。大切な事なのに。きっとこの物語を読んで、嫌な気持ちになる人もいる。だってそういう、現実では無視してる事が書かれているんだもの。
この物語で誰になるか。
全部の視点を特等席で眺められる読者なのだから、現実の世界で役立てたらいいのに。
こういう人間臭さ溢れる作品を読んだ時、私は何時も社会に渦巻く問題をコメント欄でやり取りしている人達を思い出す。
たいてい一方通行だ。
この話で言う家族側の人間と、グレゴール側の人間は、お互いがわからない故にぶつかり合ったりする。
そしてコメント欄ならまだしも、本当の家族間になった時、人間家族とグレゴールになった時、物語の終盤のような事は起きるのだ。現実でも。
物語は嘆いている。そして憤っている。
しかしどうしようもない、そういうものとも諦めている。
そう感じた。
なんともその辺はモヤモヤとした気持ちになるが、グレゴールはこの世を去ったし、家族は前を向くしかないのだから、あの終わり方しかなかっんだ。
そんな風におもった。
まとめられなかった。凄く長い。
ここまで読んだ人は「結局ここ同じ事いってない?」とか思ったかも。わたしはそう思っている。でも削るとなんか違うので、そのままいこうと思う。
カフカなんて知らなかった私の読書感想文はこれで終わり。
物語は読んだけれど、彼に関する書物もきっとあるんだろう。多くの人が考察しているのだろう。
……虫は綺麗好きだ。埃っぽいところはだめ。空気穴がふさがるから。毎日丁寧に身繕いをしている。グレゴールはその辺も他人任せだったなぁ。その辺が本当「人間らしい」
読んでくれたあなた!有難うございます!
普段はこんな長文じゃないし、こんな風じゃないです!
他の記事も読んでくれたら嬉しいな〜と思います。スキやコメン卜もお待ちしております!
読んでくれた貴方が、貴方らしい場所で、貴方らしく生きられますように。
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