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美弱あつめ008 「眩い枯葉」

び ・ じゃく【美弱】
1 その人やものがもつ美しい弱さ。
2 弱さを受け入れ、慈しむことで、より自分らしく生きている状態。

かつては「五十歳でぽっくり死にたい」と心底思っていた。子どもがいないし、ペットも飼っていない。一心に守り育て、成長を見届けたい存在がいないのに、長生きする意味などないと思っていた。私が死んでも悲しむ人なんて誰もいないと、ちょっとやさぐれた考えもあった。ごめんなさい。

でも今は、長生きしても、事故や病気で明日突然死んでしまっても、どちらでも構わないなぁと思う。私は今、自分の人生を全力で楽しんでいる。飛び跳ねるほどの喜びも、隠れてこっそり涙する悲しみも、色々な感情を味わい尽くしながら、やりたいことだけをしている。
そして、私の命が尽きるときは、自分のやりたいこと、つまり役目を全うしたときだと思うようにしている。役目を全うできるのが幸せなのであって、「いつまで生きるのか」に大きな意味はない。いつであっても、神様が「よくやりきったね。今回はここまでね」とにっこりしながら、命の灯をふっと消してくれると信じている。どんな亡くなり方であっても、私を愛してくれた人たちには「大満足して天国に行ったんだね」と泣き笑いしてもらえたらいいな。

かつて、早く死んでしまいたかったのは、老いるのが恐ろしいと思っていたから。病気で苦しんだり、寝たきりになったり、認知症になって何もかも忘れてしまったりと、自分をコントロールできなくなるのが恐ろしかった。老いることは、惨めなことだと決めつけていた。

でも、老いることはとても美しいことだと、草木が教えてくれた。

新緑の季節、下鴨神社にお参りした。糺の森に足を踏み入れると、青々としたもみじが重なりながら風に揺れているのを見つけた。葉のギザギザの隅々まで光に透ける様子が良いなぁ。そう思い、スマホで写真を撮ろうとした。すると、青もみじの枝の先端にたった一枚の落ち葉が乗っていることに気づいた。何の木の葉なのだろう。まだらに赤く染まり、ぽつんと黒くなっている箇所もある。スマホのディスプレイにはその落ち葉も映り込んでいて、どうしようかなと一瞬ためらったけれど、そのままシャッターを押した。瑞々しいエネルギーに満ちた青もみじの中で、名もわからぬ落ち葉が静かに命を燃やし輝いていたから。本当の本当に地面に落ちてしまうそのときまで気高く美しくあろうとする姿に「あなたが主役です」と言いたくなった。

また、初夏のある日、森の中を歩いていたら、道のわきの斜面が眩しいほどに白く光り輝いているのに気づいた。目を細めながら見ると、カサカサとした茶色の枯葉の絨毯が、木々の隙間から射す陽に照らされて発光しているのだった。緑色のシダも生い茂り同じように照らされているのに、朽ち果てつつある枯葉のほうが眩いだなんて。

自然の中では、老いて死ぬとは、光になることなのだろうか。想像もしなかったけれど、そうだとしたら、なんて希望に溢れているのかしら。私も光り輝きながら死ねたら良いなと思う。草木のように自然体であり続ければ、叶うだろうと信じている。

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