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エッセイ 『早送りの秋、カタツムリ』
何日ぶりか、もしかして十日ぶりくらいなのか、とにかく記憶がないほど久々に雨が降った。
十月に入り夜はだいぶ涼しくなったので、エアコンを止め、窓を開けて寝ていたら、夜中に雨の降る音が聞こえてきた。カーテンの下からひんやりとした空気が忍び込んできて、思わず掛け布団を顎までしっかり掛け直した。
朝になったら、空は灰色の厚い雲に覆われていたけれど、雨は上がっていた。いつもの神社にお参りしようと半袖でマンションのエントランスを出たら、家の中より体感温度が五度は低い。昨日は半袖でちょうどよかったのに、夜の雨が季節を早送りしたみたい。冬の入り口も見えそうなほど寒くて鳥肌が立ってしまった。上着を取りに家に戻ろうかと思ったけれど、歩いているうちに温まることを期待して歩き出す。息を吸い込むと、清々しくて湿った空気が喉を通りすぎて、ハッカ味の飴を思い出した。
神社は大鳥居をくぐり、急な階段を上った先にある。雨に濡れた石段が濃い色になっていて、隙間から生える苔や草をより鮮やかに見せる。この神社に雨上がりにお参りするのは初めてだから、いつもと違う景色をじっくり味わいたくて一歩一歩踏みしめながら上る。
階段の踊り場に、大きなカタツムリがいるのを見つけた。ゆっくり、ゆっくり、確かに前進している。私は「雨上がりに現れるだなんて律儀だねぇ」と感心して、膝を曲げてまじまじと観察した。カタツムリは私の存在を気にせず、スローモーションのように進み続ける。
カタツムリを見るのはいつぶりだろう。十年近く見ていない気がしたけれど、日記代わりにしているスマホのメモを検索したら、たった二ヶ月前、離婚の前日に尼崎の神社で見ていた。メモには「カタツムリは良いサインらしい!神様に守っていただいているから、まっすぐ進む!!大丈夫、大丈夫」と記されていた。
確かにこの二ヶ月間、私は神様にずっと守られてきた。悲しみや苦しみといった感情に飲み込まれてしまったときでも、神様が私の体験を一緒に味わってくださっていることを思い出すと、すぐにとても穏やかな気持ちになれた。しかも神様は「この道に進むとよい」「この道で大丈夫」と、あの手この手を使って教えてくださるのだ。生き地獄とは思考や感情の奴隷になることで、その荒くれた波の下には、いつだって「神様に生かされている」という安らぎの世界がある。誰でも今すぐに楽園に行けるのだと実感する日々だった。
階段を上りきると、本殿の前で七五三の親子が写真家さんに撮影してもらっていた。薄ピンク色の着物を着た女の子は何が何だか分からなさそうな表情だったけれど、周りの大人たちは皆ほくほくとした顔をしている。
「雨が上がって良かったですねぇ!」
写真家さんのひと言に、お母さんが「本当ですねぇ!」とまた笑う。声には出さなかったけれど、私も、社務所の巫女さんも、他の参拝客も、みんな「本当に良かった」と思っただろう。境内はしっとりと静かだったけれど、見えない光に満ち溢れているようだったから。
本殿の後に摂社にお参りし、隣の公園の大きな松と鳩の群れに挨拶してから境内に戻ると、まだ七五三の親子は楽しそうに撮影していた。邪魔にならないように素早く通り過ぎ、石段を下る。踊り場にさしかかるたびに、まだカタツムリはいるだろうかと足元をキョロキョロと探すけれど、見当たらない。あれ、どの踊り場だったかな、もう茂みに入ったのかな。
「何か落とされたんですか?」
石段を上ってきた四十代くらいのご夫婦の旦那さんが気さくに話しかけてくれた。私はちょっと恥ずかしくなり「あっ、違うんです、大丈夫です」などと言ってはぐらかそうかと思ったら、なんと彼の足元にいるではないか、カタツムリが!!
「あっ、あっ!そこに!」
私は思わず大きな声を出して、サンダルを履いた彼の足元を指さしてしまった。彼は「えっ、えっ」と驚き、両足を足踏みした。
どうか踏まないでと祈りながら「カタツムリ……!」と言うと、彼と奥さんは足元の存在にようやく気づいてくれたらしい。二人は「あ〜!本当ですね〜!」と私に笑いかけてくれた。私は「さっき見つけて、帰りも見たかったんです……良かった」と慌てて弁解した。二人は笑いながら階段を上っていった。
しまった、落とし物をしたのか気遣ってくれたお礼を言いそびれた……と悔やみつつ、危うく踏まれかけたカタツムリの様子を恐る恐る見る。先ほどは堂々と前進していたカタツムリは、命の危機を感じたのかほとんど殻に引っ込んでいた。でも、ツノはしっかり動いていて、私はやっと安心した。なんだかカタツムリだけでなく、私も、あのご夫婦も命拾いしたような気分になった。七五三の喜びの光が、踊り場まで降り注いで私たちを守ってくれたのかもしれない。
私がお参りを終えて下りてくるまでに、カタツムリは一メートル以上前進していたみたい。着実に進んでいる。どこへ向かうのか見届けたかったけれど、私はカタツムリに別れの挨拶をして早歩きで家に向かった。やっぱり今日は半袖じゃ寒かったな。帰ったらすぐ、熱々のほうじ茶を淹れようとワクワクしながら、ずんずん歩いた。カタツムリに心地よいペースがあるように、私も私にとって心地よいペースで進んでいこうと思う。
10月2日に書いたエッセイ。
もう半袖じゃいられないほど季節が進んだ。
先日ようやく自分の軸が定まりホッとした。自分にとってはカタツムリのようなゆったりペースで焦ることもあるけれど、物事には必ず完璧なタイミングがあると信じて頑張る。