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大切な人を裏切ってしまったとき

この方だけは、どんなことがあっても裏切ってはならない。死ぬまで誠実であり続けたい。そう心から思う方がいました。

私が八方塞がりだったとき、その方は身内でもない私に対し、信じられないほど多大なサポートをしてくれました。大げさではなく、命の恩人です。私が少なからぬ人から否定的な言葉を受けていても、決して私をうわべで判断せず、私の芯を見つめ、心から信頼してくれました。
私はその方から無条件で無限の愛をいただき、これまで味わったことのない喜びが体の内側からわき上がりました。溢れんばかりの幸福が涙となり、長いあいだ泣き続けました。この体験をするために生まれてきたのではないかとすら思いました。

でも私は、その方を裏切り、失望させてしまいました。もちろん意図してではありません。自分の目の前にある恐怖に囚われるあまり、何よりも大切なはずの、その方との約束を忘れてしまっていたのです。でも、そんなことは言い訳にもなりません。意図していようがいなかろうが、約束を破ってしまった事実は変わりません。

その方は電話口で、とても静かな低い声で「とても残念で、悲しいです」と仰いました。「あなたは信頼を失うことをしました」ともはっきり仰いました。全くその通りで、弁解の余地もありません。

静かに電話が切れた後、一番裏切ってはならない方を裏切り、悲しませてしまった自分の愚かさ、不誠実さに嗚咽しました。自分が心底憎く、今すぐ消えてしまいたいとも思いました。

その方に、今の私ができる精一杯の謝罪をしました。もちろんそれでおしまいではなく、これからも何度もお伝えし、償いをしていくつもりです。時間を巻き戻してやり直したいと思っても、過ちは消せません。私にできるのは、これから先、自分の誠意を見せ続けることだけです。

でも、ゆるしていただけるかは分かりません。もう一生ゆるしていただけないかもしれません。それくらいひどいことをしたからです。ゆるしてほしいだなんて、絶対に言えません。その方が私をゆるすかどうか決めるのは、その方だけです。

でも、私は、いつか自分自身をゆるす必要があるとも感じています。もちろん過ちは過ちのままです。不誠実だったことは変わりません。
自分自身をゆるすとは、裏切ってしまった事実を受け入れたうえで、その過ちをより良き未来に進む原動力にすること。より素晴らしい人間関係を築くための試練だと捉え、決して苦しみに飲み込まれ続けないこと。

自分で自分をゆるし、受け入れられなければ、自分自身をダメ出しし続ける人生になってしまうと思うのです。それはとても悲しいことです。
なにより、自分をゆるし、受け入れられなければ、これから出会うパートナーを100%受け入れることもできないだろうと思ったのです。相手が何をしても、何を言っても、バッテンをつけないこと。何があっても、その人の魂の美しさを見つめ続けること。もし相手の行動で自分の心がざわめいたなら、それは自分の向き合いたいところを見せてもらっていると認めること。それが私のめざす愛なのです。

自分をゆるすだなんて「考えが甘い」「開き直るな」と思う人もいるでしょうか。でも、真に人をゆるせる人間になるには、まずは自分自身をゆるすことだと思うのです。人や自分をゆるせるほうが、この世界を生きやすいとも思うのです。人や自分に怒り続けるのは、苦しいですから……。

もちろん、そう簡単に自分をゆるせるものではありません。何度も何度も後悔し、悶え苦しみながら、それでも「自分をゆるしてあげようね」と自分に語り続けるしかありません。ようやく自分をゆるせたとき、人をゆるす器も大きくなっていると信じながら。

そして、今日も、これからも、自分なりに精一杯誠実に生きるしかありません。いつかその方にもゆるしていただける日がくることを、心の中で切に願いながら。


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