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鳩が「あるよ!」と教えてくれた
先日、脚を引きずる鳩の文章を公開した。
内容をざっと説明すると、こうだ。
夏の名残りがありつつも、空の高さが秋の訪れを感じさせる日だった。いつもお参りしている神社の横の公園でボーッとしていたら、一羽の鳩が私の目の前に来て、左脚を引きずりながらよたよたと歩き始めた。さらに、私が座っていたベンチの周りをゆっくり一周すると、去っていった。
その晩「不思議な鳩だったなぁ」と思い返していたら、以前も会ったことのある鳩だと、はたと気づいた。
残暑の厳しいある日、神社の手水舎の横でうずくまっている鳩がいた。私が気になって近づくと、その鳩は立ち上がり、ガクンガクンと体を大きく上下させながら歩く。どうやら左脚を骨折しているようだった。「脚を怪我しているのに、生きていけるのだろうか」と私は勝手に心配し、少し暗い気持ちになった。その出来事を思い出したのだ。
もしかして、左脚を骨折していたその鳩が、脚の回復を見せに来てくれたのではないか? あぁ、同じ鳩だとすぐに気づけないほど回復して良かったと、私は安心した。そして、生き物の自然治癒力を間近で見た感動を残したくなり、「脚を引きずる鳩」というタイトルで文章を書いた。
実はこの文章は、お蔵入りするつもりだった。でも、「恋と愛」について発信していくと腹をくくったとき、この文章にも「自分自身を愛するヒント」があるのではないかと思い、公開したのだ。
すると、公開した翌朝、びっくりすることが起こった。頭をドラム式洗濯機に入れて、ぐわんぐわん洗ってもらった感じがした。
いつものごとく近所の神社に行き、手水舎で手を清めていると、一羽の鳩がパタタタと飛んできて手水鉢の裏側に降り立った。私にとって鳩は、話相手をしてくれる良き友であり、神様からの応援を届けてくれるメッセンジャーでもある。だからその日もひとこと挨拶をしようと手水鉢の裏側に回り込んだら、思わず息を飲んでしまった。
その鳩の左の足指がなかったのだ。
彼は箸のような左脚を浮かせ、右脚で全身を支えた状態で、手水鉢からこぼれてできた水溜まりの水を飲んでいた。そして、しばらく水を飲んだら、左脚を杖のように使いながら少し歩き、空高く羽ばたいた。あっという間に見えなくなった。
私は勝手に脚が回復したと喜んでいたけれど、何らかの理由で指が切断されてしまったのだろうか? そもそも全く別の鳩だったのだろうか?
どちらなのか分からないけれど、どちらでもいい。それより私は自分の固定概念に気づかされてショックを受けた。「怪我をしたら回復するのが良いこと」だと思い込んでいたのだ。
足指のない鳩は、他の鳩ほど速く歩けないものの、両脚を器用に使って歩いている。水を飲んだり、羽ばたいたりして、生きている。足指がないことに抵抗せず、そのまま生きている。それは完璧で、全部「ある」状態なのだ。
でも私は「ない」に縛られていた。「鳩の脚が『よくない』から治ったらいいな」と。自分に対しても「お金が『足りない』からもっと欲しい」だとか、「顔が『可愛くない』から努力しなきゃ」だとか、「ない!ない!」と責めまくっていた。
「ない」に縛られると、とっても苦しい。しかも自分で「ない」と設定してしまうから、ずっと「ない」現実が生み出される。ますます苦しくなる。
いやね、そりゃ大病や事故や借金や失恋などなど、人生で困難が起きると「どうにかしなきゃ!この問題から早く抜け出さなきゃ!」と焦る。
でも、今この瞬間、息をしている。たしかに生きてる。それだけでもう十分「ある」んだよねぇ……!!今ここに集中すると「そよ風がほっぺにあたって気持ちいいなぁ」「秋の空がきれいだねぇ」と感じたりする。それがどんなに豊かで、喜びに満ち溢れていることか。幸せが自分の内側にたっぷりある。
「ない」と思うと、ずっと不足感を味わうけれど、「ある」と思えば、その途端に「あれもこれも幸せ!」と気づく。そして、苦しんでいた現実も確実に嬉しい方向に変わってゆくのだよねぇ。困難すら「ありがたいなぁ」と思えるのだよねぇ。その困難があるおかげで「今までのやり方じゃ通用しない!お手上げ!!」と認められて、自分が本当に望む道へ進めるようになるのだろうし。
……と書いたけれど、私もまだまだ「ない」に縛られがちなのだ。「ない」と「ある」をしょっちゅう行ったり来たりしている。40年続けていた思考の癖はめっちゃしぶとい。でもいよいよ「ある」の世界に移行しないと……!!「ないよ〜」とメソメソするのにも疲れちゃったのです。人生は自作自演だから、私が勝手に選んで勝手にメソメソしているだけとはいえ、ほんっっとうに疲れた。
「脚が治ったら幸せ、治らなかったら不幸だなんて決めつけないでちょうだい!見よ、私の姿を!こんな生き方もあるんだって書いて!」
足指のない鳩(いや、箸のような脚の鳩などと書き換えたい)には、そんな風に言われた気がした。大切なことを教えに来てくれてありがとう。