
美弱あつめ010 「『書けない』を味わいつくす」
び ・ じゃく【美弱】
1 その人やものがもつ美しい弱さ。
2 弱さを受け入れ、慈しむことで、より自分らしく生きている状態。
「もう文章を書けないかもしれない」と沈んだことは何度かあるはずなのだけれど、それがいつ、どんな状況だったのかが思い出せない。能天気なのかしら……!心の中心部ではあまり大ごとだと思ってないのかもしれない。中心部の周りで感情がざわわと波立つのをひたすら味わうと、また自然と書けるようになるから。
で、まさに今、人生で何度目か分からない「もう文章を書けないかもしれない」タイミングなのだ。「書いてるやん」とツッコミが来そう。たしかに書けないことはない。でも「お腹すいた」とか「下半期が始まるね」とか、心の奥深くに入り込まなくてもよい内容しか書けないのだ。エネルギーを遣わない文章。私じゃなくても構わない文章。つい先日までそれすらも書けなかったから、だいぶ回復したのかなと思う。
以前の私なら書けないことに焦りまくっていたのだけれど、今は「本当に書きたくなったら書けば良いよね」と思えるようになった。書きたいことを書きたいときに書くと、文章のエネルギーがめちゃくちゃ高くなると実感できたから、書けないときは潔く諦めるのです。私は一つひとつの文章にエネルギーを込めたいのです。
どんなに悲しいテーマであっても、「書きたい」に突き動かされて書いているときは、感情の波がぴたっとおさまる。私はお腹あたりからゆっくり浮かぶ言葉を静かに掬い上げることに全神経を集中させる。そうやって書き上げたら、喜びがじゅわじゅわっと体中に満ち溢れる。そんな時はまた必ずやってくる。
書けないあいだも「いつか書きたい」と思う「文章の種」はたくさん見つかっている。「いやぁ、これは美しい花が咲くだろうなあ!」と、今から楽しみにしている。楽しみだけど、種はほったらかし。どの種がどのタイミングで芽生えるか分からないけれど、私は信じて待つのみ。四季折々の花のように、ベストなタイミングで書けると思う。
書けないのは、悲しいことがいくつもあったから。悲しいときは、我慢しないで泣きたいだけ泣こうと決めました。その感情を見ないふりをしてしまったら「どうして無視するの」「気づいて」と何度も何度も見せる出来事がやってくるのです。四十歳のいい大人だけど、鼻水垂らしながらわーんわーんと泣いています。悲しみも味わいたくて生まれてきたのだから、味わいつくそうね。