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ミュージックケアについて考える~NO.2「共有する」から楽しい~

前回に引き続き、ミュージックケアの研究をされている、西島千尋先生の著書を読んで考えたことをまとめました。ちょっと長くなるので、1つずつお話をアップしています。

全てのお話*****************************

■ NO.1 「一人前なこども」との時間 *アップ済み

■ NO.2 「共有する」から楽しい ←今回のお話

■ NO.3 ママにこそ必要なミュージックケアの時間

■ NO.4 立場の概念がなくなるって気持ちがいい!

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今回のお話
■共有するから楽しい!

著書には、大学2年生の時に心臓発作で倒れ、遷延性意識障害(いわゆる植物状態)と診断された、草太さんのエピソードがありました。草太さんは診断を受けた二年後から、自宅でミュージックケアのセッションを受けるようになりました。

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<母親の和子さんの言葉>「・・・毎日のなかで楽しい時間がないんです。音楽療法なのか何なのかはどうでもよかった。ただ楽しいから大沢先生(ミュージックケアの先生)に来てもらっていた。」(著書から抜粋)
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草太さんは、神経伝達調整治療や針治療など様々なリハビリを受けていましたが、それらはどれも、和子さんが一緒にできるものではありませんでした。でも、ミュージックケアなら一緒にできる。和子さんはミュージックケアのセッションを、「参加型」「お祭り」と表現されています。

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「筆者が同席した草太さんのセッションで、実際、和子さんは楽しそうであった。曲のメロディーを口ずさみながらリズムに合わせて愛犬を抱えてゆらしたり、曲に合わせて手拍子をし、最後は「イェーイ!」と声をあげたりする。」「和子さんは、草太さんや、その場に集う人々と何か(リズムや楽器の音や音楽)を共有していると思うことができるからこそ「たのしい」と感じられるのだ。」(著書から抜粋)
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どんなに応援していても、一緒にやることはできないリハビリ。でも、「参加型」であり「お祭り」のミュージックケアなら一緒にできる。遷延性意識障害と診断された草太さんと「共有」できる時間がミュージックケアだったということです。

一方、ミュージックアを受けるようになってから10年後、話せるようになった草太さんは次のように語っています。

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「たのしいことはとてもいい。多少うるさくてもたのしいことは大事です。お母さんが一番たのしそうでした。たくさんの人がたのしそうだとおもしろいと思いました」(著書から抜粋)
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「たくさんの人がたのしそうだとおもしろいと思いました」この部分も重要だと思います。草太さんたちとミュージックケアを「共有」してたのしそうな和子さんをみて「おもしろい」と感じる草太さん。草太さんのセッションは、和子さんやその場に集う人々の参加も含めて「たのしい」「おもしろい」時間として成り立っています。そして、おそらく長い間、見ているだけ、聴いているだけだった草太さんも「たのしい」「おもしろい」時間としてミュージックケアをちゃんと「共有」しています。

横にママがいて、パパがいて、周りにお友達がいて、みんなと一緒にミュージックケアをやる。そこにいるみんなとリズムや、楽器の音や、音楽を共有していると感じるから、楽しくなる。その日、聴いているだけ、見ているだけである子どもたち、大人たちもミュージックケアを「共有」する。みんなが楽しそうな様子を見て「おもしろい」と感じるかもしれない。楽しそうだな、やってみたいな、ここは居心地がいいな、次も来たいな、と感じるかもしれない。

音楽をみんなで「共有」できる場所を作ること、その場で見ているだけ、聴いているだけという形で「共有」してもいい場所を作ること。それができるミュージックケアって、やっぱりいいな、と思いました。

西島先生の著書
「音楽の未明からの思考~ミュージッキングを超えて~」
第一章 なぜ人は音楽療法をするのか~福祉現場のフィールドワークから~


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