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好きなもの

「好きなモノについて書け」と言われたら、人は何について書けばよいのだろう。ぱっと思いついたのはふたつ。

その1、興味関心としての「好き」。わたしの場合は、19世紀ロシア文学、民藝、坂元裕二脚本ドラマ、シャフトアニメ。こんな感じか?

作者はこんな人で(ソース)、こんな所がすごくて(ソース)、こんなメッセージを読み取れるのだあああ。(ソース)

...こういうのをウィキナントカと呼ばなかっただろうか。

その2、推しとしての「好き」。歌手だとポルノグラフィティ、女優だと満松たか子、声優だと神谷浩史、仏像だと東大寺不空羂索観音立像である。よしやってみよう。

これ見て(聞いて)みて!え、やばくない。美しすぎるんですけど、、、!!!え?わからない?なぜ?じゃあ、別のを、、、

やめよう。

さて、振り出しに戻ってしまった。何を書こう。。。。

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これだ。

そう「もやし」である。

あぁそうだ、私はもやしが大好きなのである。

はじめに:もやしとは

そもそももやしとは、主に穀類や豆類の種子を人為的に暗所で発芽させ、徒長軟化させた新芽である。発芽の方法は、地域別では、中近東地方(バルカンや西南アジア)、東部地中海沿岸から東方イラク地方、トルキスタン地方を経て、中国地方にわたり、それが広く伝播したものとの説が有力である。種子から栽培する方法は、人類が、貯蔵できる食物を見つけだし、それを常時供給するとともに、その種子を貯蔵することによって、共同生活を発展させる原動力ともなった。

もやしの凄さ①:食材としての無敵さ

もやしの何がすごいって、その95%が水分であり、加熱の具合に応じて「どの程度周囲に迎合するか」が変化するということである。

自分を保ってシャキシャキと主張するもよし、フニャフニャとその身に周囲を溶け込ませるもよし。その様相は、周囲との一体化を余儀なくされるネギともあくまで自己を捨てきれないキャベツとも異なるのである。(しかも、安い!)

いつも安く、いつも変わらない“もやし”。炒め物にすればボリュームアップ。ゆでてサラダに、あえ物に。万能なのに決して前に出ず、さりげなく食卓に上る。だから毎日でもいい。(『エライ! もやしのおかず&つまみ81』須永久美)

そう、料理にあわせて七変化する万能さと、それでいて自己を前面には出してこない控えめさ、そして何より安いということから、「もやし」は比喩でもなんでもなく、毎日食べられるのである。

考えても見てほしい、文字通り毎日食べられる食材がほかにあるだろうか。

もやしの凄さ②:概念としての「萌やし」

なんて言ったってあのガハラさんをして「もやしって、漢字で書くと『萌やし』になるのよ。それを知って以来、もやしがおいしくておいしくて仕方がなくなったわ。」と言わせたのだ。

もちろん、(種から)芽生えさせたものとしての「萌やし」と(何らかの感情が)芽生えるという意味での「萌え」であり、両者に関連はないはずだが、「燃える」と同じ音を持つからだろうか、日常会話ではほぼ使わない「萌える」という動詞がこんな形で残っているだなんて!もうこれからもやしは「萌やし」と書くべきなんじゃないだろうか。

ぜひ漢字を思い浮かべてもやしを食べてみてほしい。おいしくておいしくて仕方がなくなるはずである。

萌やしの凄さ③:「もやしっこ」とかいう言葉への反論

もやし、いえ「萌やし」を語る上で反論しなければならないのが、「もやしっこ」といういわば悪口であるが、これを悪口とするのはまったくもって間違っていると言わざるをえない。

萌やしはひ弱じゃない!

『美味しんぼ』でももやしの栄養価が高いことを伝えて「もやしっこ」へのいじめを解決する話があった気がするが、他の野菜と比べても栄養価は低くない

そもそも日本では、平安時代に書かれた、日本で最も古い薬草の本「本草和名」(ホンソウワミョウ)に「毛也之」(モヤシ)として紹介されており、薬用として栽培されていたらしい。日露戦争においては、日本軍は大豆からモヤシを作る技術を知っていたので兵士のビタミンを供給でき、モヤシを知らなかったロシア軍は壊血病になって負けた、という俗説があるほどである。
第二次世界大戦中、光のない環境で容易に栽培でき、ビタミンが豊富なことから潜水艦内でも栽培された。現在でも南極の昭和基地で栽培され、貴重な生野菜食材となっているほか、宇宙食としての利用も研究されている。

「白くて細い」は悪口か

また例え「もやしっこ」が栄養価の低いことではなく、もやしの外見、「白くて細長いこと」にあったとして、それは果たして現代において悪口として機能しているのだろうか。

「もやしっこ」と言って連想されるのは、インドアで外に出ないが故に日に焼けておらず、運動もしていないために細い男の子だったはずだ。

ちょっとまって、なぜ「男の子」なのだ。女の子にしてみよう。

「白くて細い」女の子。

絶対かわいい子を連想したはずだ。「萌やしっ子」は本当に悪口として機能しているか?(ちなみに、「女の子は白くて細くあるべきだ」なんてルッキズム、まじで滅べばいいと思っているし、白くて細くとも他の意味では美しくない女性も存在しうるとは思っているけれど、それでも「白くて細い」と聞いたら美人を想像してしまうという話をしている。きっと『見返り美人図』のせい)

同様に、男性が「黒くて太い」ほうがよいなんて価値観も前時代的すぎて笑える。(というか「もやしっこ」という言葉がすでに前時代的か)

いまの「イケメン」はみんな白くて細いじゃないか!!!

むしろ現代において「もやしっこ」は褒め言葉なのかもしれない。(もう少ししたらフェミニストたちから「もやしっこなんて褒め言葉はルッキズムだ」とかいって批判されるくらいのことはあるかも!!!)

さいごに:おすすめメニュー

とはいえ、萌やしだっていち食材だ。調理の仕方によって美味しかったり美味しくなかったりするだろう。最後に私が萌やし好きに目覚めた一品をご紹介しよう。

【萌やし入り味噌ラーメンの作り方】

①萌やしをごま油で炒める

②水とインスタント味噌ラーメンの粉を入れて煮る

③萌やしがいい感じになったらインスタント麺を投入

④一緒に卵も入れてしまう

⑤麺と卵がいい感じになったら完成


これを私は完全食と呼んでいる。毎日食べられるし、最期の晩餐にする。


まあ言いたかったのはつまり、「萌やし、蕩れ」ということである。

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