帰り道につらつらと
私にもこんなに怒ることがあるのかと歩けば歩くほど増していく怒りを胸にふと思う。
弱さを想定しない人が嫌い。弱さなんてないみたいに自己責任に全て回収させようとするシステムを構築した奴らが大嫌い。それで弱いがゆえに泣く人の存在にすら気がつかず、あいつらは笑ってるんだ。例え何人救っていようとそういう涙を自分の責任として引き受けようとしない人は、誰かの上に立つべきじゃないと思う。「協調性」?「頑張って」?「協力」?ふざけんな。そんなものなくったって上手くいく方法を考えろよ。それらが足りなくて転んだとしても、フォローできるようにしろよ。それがお前らの責任だろ。
幾度も弱さにぶち当たって、どんなに強くなっても救えない弱さがここにはあって、その救えなかった弱さを自分の責任として引き受けて糧にしていくのがこの仕事だと思っているのに、何十年も支援してきた人が、この程度の弱さも想定していないくそシステムでふんぞり返ってんのが腹立つ。私のあこがれ返せ。
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ここまで怒りに任せて殴り書いて(フリック入力なんだけど)、冷静になる。
この久しぶりの強烈な怒りの裏側。ああ私は「支援者」に、自分自身の理想形に、いまだに"全ての弱さを想定した完璧な強さ"を求めているんだ。弱さを守るために強くなったその強さが、別の弱さを踏みにじってきたのがこの世界の歴史で。だったらみんなが弱くて小さいまんま、時にはぶつかり合って、でもその衝撃くらいでは潰れないほどの柔軟さを持てたらいいのではなんて思ってたのに。その素朴な発想の世界に私は自分自身を入れられてなかったなあ。もっと弱くて小さな私を目指したいなあなんて思う遠回りした帰り道。
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