インドでロストバゲージ!取り戻すまで
2024年の6月から7月にかけてインド旅行をしました。その際、インドのローカルエアラインで荷物を失くされてしまったのですが、それを取り戻すまでの記録です。
今回の旅行はインド北西部のラダック(Ladakh)地方を訪ねるのが主な目的でした。
日本から行く場合、首都デリー(Delhi)から国内線でレー(Leh)というラダック地方の中心都市へ飛び、そこからは車を利用して標高3000メートル超の高地に点在する湖やチベット寺院などを訪ねるというのが一般的な観光ルートとなります。
私とツレの日本人女性2人組はデリーから国内線を利用してレーに向かいました。
レーまでは1時間半、機内から見下ろせば雪を被ったヒマラヤの峰々がどこまでも続き、ワクワクが止まりません。
そして一週間のラダック観光を終え、再びレーから首都デリーへ戻るインディゴ(IndiGo)航空の便に搭乗したときのことです。
たった1時間半の路線だし、もちろん貨物の積み替えなどもありません。
非常に旅慣れたツレですら、「ま、ここは心配ないからね。機内持ち込みと預けるスーツケース、適当に荷物を分散しても大丈夫」と言います。適当にパッキングし、二人の荷物をまとめてツレ名義でカウンターで預けました。
デリーに到着し、ターンテーブルで待っていましたが、なかなか荷物が流れて来ません。そのうち、インド人の乗客たちがぞろぞろと移動していきます。どうしたのかな?と思っていたら、空港の係員が「荷物が遅れているから、あちらのカウンターで手続きしなさい」と言ってきました。私は英語がよくわからないので、それは全然聞き取れなかったのですが、なんとなく「On strike」と言ったような気がしました。ツレに聞くと、ツレは肝心の前半部分は聞き取れたけど、ストライキなのかどうかは分からなかったとのこと。
ともかく指定されたカウンターへ向かうと、丸いカウンターを取り囲むようにインド人男性の人だかりができています。(なぜか女性はいない。国内線なので、外国人もほとんどいません。)
列を作ることもなく、とにかく人を押しのけてでも早く手続きをしようという熱気がすごいのです。大声で怒鳴り散らしている人もいます。こんなときはマナーなんて、関係ない!私たちも大柄なインド人の間をかいくぐってカウンターにたどり着き、ツレは大声でカウンター内の係員にアピール、私は横入りされないように肘を張って、防戦に努めました。
やっと係員の若いお兄さんをつかまえ、荷物を請求するための書類(Property Irregularity Report)を作成してもらう段になりました。
その際、当然ながら重要なのはバゲッジクレームタグの番号(普通はチケットに貼り付けてくれています)です。このときは係員が記入したので、間違いがないように監視しなければなりませんでした。
スーツケースの色や特徴も聞かれました。ところが私のスーツケースはゴールド?ベージュ?みたいな微妙な色で、何色とも言い難い色なのです。ツレには「ベビーピンク」に見えていたようで、「Baby pink」と記入してもらったのですが、国によって表現も違うかもしれないし、見る人によって感じ方も違うだろうし、これじゃあ、色で判断はできないかもと心配になりました。また、スーツケースにネームプレートをつけてもいませんでした。もしバゲッジクレームタグが外れてしまったら、まずいことになります。これは大きな反省点でした。
私は次の日の夕方にデリーから羽田へANAで帰国することになっていました。ところが荷物が間に合わない可能性もあるとのこと。仕方なく荷物は日本の自宅に配送ということになり、帰国便(ANA)の便名、日本の住所も記入しました。(この時は、帰国便に積み込んでくれるかも、などと甘い期待もしていました。)
一方、ツレは別行動でデリーに2、3日滞在後、インドの別の都市に移動する予定だったので、デリーのホテルに配送ということになりました。
その後、「やっぱり2時間後に荷物が着きそう」と言われて空港内で待機したり、「やっぱり明日になる」だの、相次ぐ変更にふりまわされた挙句、私たちは予約してあったデリーのホテルに戻ることになりました。クタクタになってはいましたが、そのときは荷物は普通に戻ってくると思っていました。
その晩は足りない服や歯ブラシを買いに行ったり、デリバリーで頼んだカレーを食べたりして寝みました。次の日はオールドデリーのジャマ・マスジド(Jama Masjid)というインド最大のモスクを訪ね、夕方の便に搭乗しました。
翌日の早朝に羽田に到着。空港を出る際の税関に提出する書類に「後から送られてくる荷物はないか?」という質問がありましたが、疲れていたのと、あくまで「手荷物」であるという認識で、何も書かずに税関を通り抜け、タクシーでさっさと帰宅しました。
さて・・・。2日後になってツレにインディゴ航空から電話があり、荷物がデリーの空港に着いたとのことで、ツレは空港へ自分の荷物を引き取りに行きました。その際、私のベビーピンクのスーツケースを確認し、私の住所にちゃんと送るように何度も何度も係員に言ってくれたそうです。
これが私のスーツケースとの「長いお別れと、闘い」の始まりでした。
その2、3日後(荷物紛失から約1週間後)、ツレから「もう着いた?」と連絡が。「着かない」と答えると、ツレは早速、インディゴ航空のウェブサイトにある荷物検索システムで、バゲッジクレームタグのナンバーを入力して調べてくれました。ところが検索ができません。(この原因が、データ入力までのタイムラグなのか、このシステムがきちんと運用されていないからなのかは、わかりません。)
ツレがインディゴ航空に電話をしたところ、何と「XX日のカタール航空のXXYY便に依頼して羽田に送った。もう羽田についているはず」との回答が。ええーっ、カタール航空で???
何か手続きに時間がかかっているのかもしれない、と思い、更に2、3日待ってみましたが、着きません。
インディゴ航空にはツレが何度も電話したり、メールしたりしましたが、とにかく、「カタール航空に依頼したのだから、そちらに聞け」の一点張りです。
私はカタール航空に問い合わせを試みました。しかし、荷物問い合わせの方法が存在しないのです。荷物検索システムはあるのですが、そもそもカタール航空の荷物ではないためか、検索ができないのです。また、チャットがあるのですが、これもカタール航空の乗客ではないため、使えません。
しかたなく、チケット予約変更の電話番号にかけてみると、日本人オペレーターが出てくれました。当然のことながら、「こちらでは荷物を探すことはできない」とのこと。それでもしつこく事情を話すと、「一応調べてみるから、便名を教えて」と言ってくれました。ところが、「その便はJALとの共同運航便であり、事実上カタール航空は関与していない」というのです。
うーん、困った。
次に羽田空港の荷物関係の問い合わせ番号にかけましたが、一切分からないとのこと。
さて、今度はJALの荷物関係の番号にかけてみました。こちらはとても丁寧に対応してくれ(荷物のことを「お客様のおカバン」とおっしゃるので、私は吹き出しそうになっていました。)、その便の荷物について調べてくれました。
結果、私のスーツケースを積み込むようにという依頼は確かにあったが、実際には載っていなかったとのこと。
ここでまた途方に暮れるわけですが、「今後問い合わせをする場合は、紛失した荷物の"ファイルナンバー"を言ったほうがスムーズですよ」と教えてくれました。
バゲッジクレームタグの番号は世界共通なので、そちらでも問い合わせはできるが、紛失すると新たに"ファイルナンバー"というものがつくそうで、その番号で探したほうがいい、とのことでした。
(私の知らないことばかりでした。)
更に教わったのは、私に荷物を送るには、空港に着いた荷物の「通関」が必要であり、通関し発送まで行うのは、私の帰国便の航空会社だということ。
航空会社間の紳士協定のようなもので、そう決まっているのだそうです。
という訳で、今度は帰国便のANAに電話。またまた非常に丁寧な対応をしてくださいました。(「お客様のおカバン」という用語は共通なのかな?)
実は私が帰国した際、このような事情で荷物が後から来ることになっているということを空港でANAに申告する必要があったのだそうです。多分、私が税関に出した紙にも書くべきだったのでしょう。
とは言え、事情は分かったので、荷物が着き次第通関して着払いで送ってくれるということになりました。通関を依頼する「願書」というフォームとパスポートのコピーを予め提出するように言われました。
とても丁寧に対応してくださり、その後のメールでのやりとりもとてもスムーズだったので、なんだかちょっと安心しました。
このときは、「羽田に着いたのは着いたのだが通関できずに滞っているのだ」と(なぜか)思い込んでいたので、いずれ自宅に送られてくるだろうと思っていました。経緯をツレに連絡し、「後は待ってるだけだね」なんて話していたのですが・・・。
やっぱり、着かない。何度かANAにもJALにも問い合わせをしましたが、わからないとのこと。荷物を失くしたインディゴ航空にもツレから何度も連絡してもらましたが、埒があきません。ツレのインド人の友人の方にも協力していただき、カスタマーサービスに数回電話してもらいましたが、「カタール航空に聞け」の回答は変わりません。
仕方なく、私はまたまたカタール航空のチケット担当に電話をしました。すると、「そもそもカタール航空は羽田に事務所がなく職員もいない。成田には時間帯によっては職員がいるから」と、成田のカタール航空の電話番号を教えてくれました。ありがたい! 指定された時間にかけてみると、留守電になっていましたが、何度もかけるとやっと出てくれました。
事情を話しましたが、やはり、「JALとの共同運航だし、羽田に職員もいないため、カタール航空が荷物には触れることはない」との答え。そもそもカタール航空がそのような荷物を運ぶということは「紳士協定があるから依頼を受けてあげているだけであり、荷物を探すのは、インディゴ航空の仕事。インディゴ航空があまりにも無責任」とおっしゃっていました。
本当にどうしていいかわからず、カタール航空で送ったとインディゴ航空が主張する航空機の便名を検索してみました。(過去にも何度も検索してはいたのですが。)そこで、目に入った文字は「ドーハ」。えっ、この便はドーハから日本への便だったの?以前に検索したときも「ドーハ」という地名は認識していたはずなのですが、何となく、「デリーから羽田への直行便の経由地」なんだと思い込んでしまっていました。
そうか、この飛行機はドーハから羽田への便だったんだ!
えっ、じゃあ、インドのデリーからカタールのドーハまではどうやって運ばれたの?
迷惑とは思いましたが、私はまたまたカタール航空の成田支店に電話。出て下さった方は、前回と同じ方でした。そして、この便はドーハから羽田の便なのであり、デリーからドーハまでは、インディゴ航空が運んだと教えてくれました。
私の大きな勘違いが問題を大きくしていたのかも・・・。
そこで、想像しました。
私の荷物はインディゴ航空によってドーハまで行き、そこで降りる乗客の荷物と一緒にターンテーブルに流されてしまい、引き取り手のない荷物として扱われているのではないか?
だからJAL共同運航のカタール便に載せられることもなく、今も遠い中東の空港の倉庫に置き去りにされているのではないか?
ということで、「インディゴ航空がドーハの空港をちゃんと探すようにプレッシャーをかけてほしい」と、JALにもANAにもカタール航空にもお願いしました。お門違いと分かってはいましたが、とにかく肝心のインディゴ航空が何もしてくれないので。
その中で、JALだけは「一応、メールはしてみます」と言ってくれたのが、とてもありがたかったです。
もちろん、インディゴ航空に対しても「ドーハを探せ」とツレからも、インド人のお友達からも何度か電話やメールで連絡してもらいました。
そうしてさらに一週間ほど経ったとき、なんと、インディゴ航空からツレに連絡が!「荷物がデリーに戻ってきたから、送付先や帰国便をもう一度知らせてくれ」と。嬉しかったけど、本当に荷物が戻るとはまだ信じられませんでした。
数日後、朝9時過ぎ、仕事が始まる直前に私の携帯に電話が。ANAからで、「今朝JALの便で羽田に荷物が着いたので、通関後着払いで送ります」とのこと。もう、飛び上がるほど嬉しくて、即ツレにWhatsAppで連絡。インド人のお友達にも感謝を伝えてもらいました。
その4日後、荷物が自宅に到着しました、ついに。やったー!
荷物を失くした日から、1ヶ月と1週間経っていました。
本当にドーハにあったのか、実はデリーの空港にそのままあったのか、真相はわかりません。傷だらけになった私のスーツケースに「ありがとう。おつかれさま。」と言いながら、ピカピカに磨いてやりました。
ここまで、ツレにも、インド人のお友達にも、各航空会社の方々にも本当にお世話になりました。何度もあきらめそうになったけど、ツレの「とにかくやれることは全部やってみるんだ」という言葉に励まされ、何とか荷物を取り戻すことができました。
交渉を続けた約1ヶ月の間、「なくしたものは諦めよう」と思ったり、「神様が、執着を捨てるトレーニングを私にさせてくれているのだ」と考えたりする一方、スーツケースに「あれも入っていた、これも入れたはず」などと思い出したりしていました。おみやげなどは「もうどうでもいい」と思えたのですが、以前の旅行でプレゼントされて旅行中もずっと来ていた思い出の服が諦めきれず、悲しい気持ちになっていました。とにかくなかなかストレスフルな1ヶ月でした。
さて。実は面倒な手続きがほかにもありました。
この荷物、ツレの名前で預けていました。
(ツレは、実は私の姉なんです。)
ツレは別行動であり、私と一緒にANA便で帰国したわけではないので、この荷物はANAが通関手続きをする義務はないとも考えられます。
(もしかしたらANAはそれに気づいていながら、知らないフリをしていてくれたのかもしれません。)
また、通関の際に税関が入出国データをチェックして「これは手荷物ではない」と判断するならば、話が複雑になってしまいます。
交渉の途中でそのことに気づき、ANAに問い合わせたところ、「税関に聞いてみる」と言ってくださいました。そして、「姉妹関係を証明する書類を添付すれば認める」との回答が。
姉と私は別の戸籍なので、姉妹関係を証明するには亡くなった父の戸籍をとるしかありません。更に父の戸籍は別の自治体にあるため、戸籍をとるのは簡単ではありません。
よく探すと父が亡くなったときの資料のファイルに戸籍のコピーがあったので、とりあえずそれをANAに送り、原本を要求されたときに備えて、原本を取り寄せる手続きも行ったのでした。
荷物を取り戻すまでの顛末は以上になりますが、このトラブルで痛感したのは3つです。
1.どんなに短い航路であっても、重要なものや2泊できる程度の身の回り品は機内持ち込みするべし
(今回、スーツケースの中にクレジットカードのコピーを入れていました。
心配になり、カードは早々に再発行しました。)
2.同居の親族でもない限り、各々の名義で預けるべし
(ツレの名義で預けたため、旅行保険の荷物遅延保証も請求できませんでした。)
そして・・・
3.可能ならば、荷物はすべて機内持ちこみにすべきだということ!
長文をお読みいただき、ありがとうございました。
何かのご参考になれば幸いです。
追記
ツレによると、インディゴ航空が荷物探しに動き始めたきっかけは、インド人の友人がかなり厳しいクレーム(内容は内緒です・・)を言ってくれたことではないか、とのことです。彼女はとても上品で楚々とした若い女性なんですが。インドにはインドなりの交渉のしかたというのがあるようです。
その方は、なかなかインディゴ航空が動いてくれなかったとき、「今度デリーに行ったら、インディゴに乗り込んで取り返してあげる」とまで言ってくださいました。インドの人は本当に優しいんです。ただただ感謝。
追記2
旅行前に引いたおみくじが大吉だったので、何となくとってあったのです。荷物が戻ったあとで見返してみると、
「うせもの:出るが手間どる」とのことでした。大当たり!
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