理由 宮部みゆき
東京都荒川区のとあるタワマンで一家4人惨殺事件が起きる。しかし4人はその家に住んでいるはずの家族でないばかりか、他人の寄せ集めであった。
主人公がおらず、記者からのインタビューに答える方式で進んでいく方式は斬新であった。
300戸をこえる世帯が暮らしていながら、隣室で殺人事件が起きても気づかず(防音効果のせいもある)、隣人がそっくり入れ替わっていても住民が誰も知らないというのはタワマンらしい希薄な関係だと思った。
煩わしい近所づきあいから解放されるというのは大きな利点であり、本書の中にもそれを求めてやってきた女社長がいる。
私自身は地方の一軒家で育ったが、地方独特の狭いコミュニティは恐ろしい。誰と誰が付き合っていた、あそこの家は旦那が逃げた、など本物もあれば、根も葉もないうわさが流れ、嘘であってもそれが本当になる。
なかでもとりわけ強く感じたのはコロナが流行りだしたばかりのころ、テレビで30代の医療従事者とでただけで感染者を特定し、しかもそれは人違いだったという事件だ。隣人は警戒するものとまではいかないが、排他的であるくらいがちょうどいいというのは、私にとっても納得のいった場面であった。
寄せ集めであった4人は、迷子や家出、絶縁など消えてもわからないものたちであった。はたから見ればうまくいかなさそうな暮らしは、他人という距離感によってつながっていた。最後の小糸孝弘へのインタビュー、「僕も、おばさんたちを殺していたのかと思う」にすべてがこめられている。私たちも、身近な親や親友より、他人のほうが悩みを話しやすかったり、付き合いやすく感じる場面がある。それが心地よかったのに、家族や親しい人のような距離感で接されたら、うっとうしく感じて消したくなった八代祐司の感情も理解できる気がした。
人間の距離感の希薄さと濃密さの対比による心情の変化を、タワマンという現代社会の縮図を用いて書かれたのは素晴らしいと思った。