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【性別不合】性癖の問題と切り分けるには矢印の向きを考えればよい

 主に、本来は女性である男性についてですが、自分の身体を女性化することによって性的な興奮を覚える人が、少なからずいます。私の感覚ですと、かなり多いはず。

 専門用語もありますが、用語を使うと病気っぽくなるので、とりあえず単に性癖として表現します。

 性別不合当事者の中には、自分の感覚はただの性癖なのではないかと、かなり本気で悩む人が居ます。

 その一方、性癖であることに気が付かず、性別不合であると思い込んでしまう人もいます。

 これは、かなり昔からある問題です。

 それで、この問題に対して、客観的な指標を持ち出そうとすると、より問題が複雑かつ大きくなり、収集がつかなくなります。

 そこで考えておくことが「的中」についてです。

 ダーツのターゲットを想像し、その真ん中に自分が投げたダーツの矢が当たったら的中したという感じです。

 予想が当たった、という意味ではないです。

 まず、自分の心は自動的に何かに的中します。

 音楽が苦手な人は音楽に的中しないだろうし、野球が嫌いな人の心が野球に的中することもなかなかないでしょう。もちろん、心の問題なので、変わる事はありますが、まずほとんど変わらないと思います。

 それで、性別不合と性癖について考えてみたいのですが、

 自分は女性だというところに的中しているのであれば、女性になりたいというよりも、すでに女性なので、このちぐはぐな感じが違和感としてもたらされているはずです。

 すでに女性なのになんで女性になる必要があるのか意味が分からないですよね。人にどういわれようと、女性なんですから。なんで自分だけ、女性であるはずなのに、女性でいてはいけないんだ、というこですね。

 ただ、女性の恰好をしたいとか、女性のように振る舞いたいとか、女性になりたいというところに的中している場合は、もう少し熟考する必要があるのではないかと、私は考えています。

 つまり、女性の恰好をしたいから私は女性だ、というのは矢印の向きがおかしいのです。

 女性だから女性の恰好をするのは当たり前と思うなら、それはそうだと思うのですが、そうではないんですよね。

 幼児的な発達中の興味によるものかもしれませんし、性的興奮を得たいだけかもしれません。

 性癖であっても、別に何も悪くはなく、人に迷惑をかけなければ思う存分やればいいのです。全く持って許容されるものです。

 性別不合とはかなり異なる状態です。

 また、性別不合の診断に成育歴的な物を書いて提出しますが、おそらく、書こうと思えば、それなりの人が性別不合エピソードを作れてしまうと思います。

 例えば、母親の下着やメイクに興味を持った、等は通常の成長過程なのですが、性別不合の症状として書いてしまえば、そうすることもできますね。

 性癖で性別不合を語ろうとする人は、行動化が激しい場合もありますので、こういう普通エピソードをいかにも性別不合エピソードとして収集して、吹聴することがあります。

 それを聴く人も、発達の勉強なんかしたことないのが普通なので、すっかり本当のこととして受け止めて、嘆くしかなくなってしまう。

 結論としてどうしたいのかが抜けていて、自分の思いをぶちまける事に興味が向いてしまっている。

 性別不合の合併症として心身症がありますが、言葉や態度では表現できなくて、体が悲鳴を上げだすというものですので、そういう陰的な状態にあってしかるべき。

 そして、望む性で生きると言う事は、そのことを、そもそも理解している人以外から、理解を得る事は、非常に難しいので、結果的に、一人で生きていく選択が現実味を帯びてくるはず。

 大人の性別不合の支援として、活動体験や職業体験、就職支援が多いのは、まずは一人で生きていけるようにすることが、コアになっているということを表している様に思います。