性別不合当事者が語る性体験に対して感じる違和感
【Information】
・1記事2000文字程度あります。
・気軽に書いていますので、根拠を示すような引用は少ないです。
・記事内容はやや偏った視点から書いています。
【想定している読者層】
・被差別当事者のために活動することに関心がある方
・性別不合の支援に関心のある方
1 結論
性別不合当事者の性行為に関する話は辞めた方が良いのではないかと、私は思います。
2 性別適合手術を想定したときに何かが起きているのでは
私は性別不合に対して、支援したいと思っていますし、人権についても主張していきたいと思っています。1秒でも早く、「性別不合であろうがなかろうか、当たり前に生きられる世の中になれ!」と思っています。
ただ、性行為についての話を大っぴらにしている当事者の方には、ちょっとした恐怖を感じています。私個人の問題かもしれませんが、「それは辞めた方が良いのではないか。むしろマイナスになるのではないか」と思っています。
でも、性別適合手術を想定したときに、そういう話をしたくなる気持ちはとても理解できます。ただ、その話は公開しない方が良いと思います。
つまり、結婚している夫婦が自分たちの性行為について他人に語る事は、あまりない理由を想像してみると少し見えてくるような気がしています。
3 相手の人権にかかわる
おそらくですが、一般的に他人の性行為の話を聞いた時、それを聴いて「誰があなたとそんなことするのかしら、変わった人もいるものね」と感じる人が多数だと思います。同僚のそんな話なんて、気持ち悪くて一切聞きたくないですからね。
それか、性に奔放な人だと思うでしょう。
そして、性行為の相手に対しても低俗な人といったイメージが付いてしまう事があります。「性行為についてぺらぺら話してしまうような人と性行為をする人も、どうせ性に奔放な人間なんでしょ」と思うということです。
そして、「そんな奔放な人と性行為をするあなたは性に奔放な人」と、悪循環的なジャッジが下ります。
勿論、反対の性として性行為ができることは、大きな喜びであるだろうことは否定しようがありません。とても理解できる、重要なライフイベントです。ただ、それを公開してしまうのは、辞めた方が良いのではないかととても思うのです。
4 性犯罪への恐怖が障壁になっている
人権擁護とか、多様性の受容とか、世界的に葛藤を抱え始めた時代に、性別不合の人権がすんなり拡大していかない大きな理由の一つに「性犯罪への恐怖」がありますよね。
そして、実際に、性別不合を偽った犯罪は増えています。
非常に迷惑極まりない話ですが、この犯罪は増え続けるしかないと思います。なので、善良な当事者は風評被害に苛まれています。
この状況において、当事者の方々が性行為について高らかに語ってしまうと、「性別不合と性行為」がイメージとして結びつき、独り歩きしていくことになります。
こうなると、当事者間差別も深まってしまう。
5 学校での扱い
学校のいじめ調査などでは、「女性の恰好をしている男性」だけ取り上げられ、「男性の恰好をしている女性」はあまり取り上げられていません。
女性の恰好をしている男性には何を言ってもいいと思いますか?みたいに質問して、「いいえ」と答えさせる、みたいないじめ指導が始まっています。
なぜ、MTFだけの扱いなのか、私には全く理解できません。
実際に学校でカウンセリングを受けているのは、FTMの方が多いし、MTFはグループホームや夜間中学校といったところで、泣き寝入りしている場合が多いです。
このいじめ調査の根底に、どんな考えが流れているかは不明ですが、あきらかにMTFを問題視していますよね。
そこへの差別意識をなくそうとするのはいいのですが、一方だけを扱う事によって、「MTFに対する差別意識の存在」に気づきやすくなりますし、その差別意識も「性犯罪的な問題が背景にある」ということも、小学校中学年くらいにもなればすぐに分かる事です。
私が見てきた小学1年生も、このいじめ調査をみて「おんなの人がおとこの人の服をきたいこともあるよね。」とすぐに気づいていました。
6 急速に浸透したLGBTのT
小学1年生でも知っているようなトランスジェンダーです。
それだけ浸透してきています。
学校の授業でも扱われることがありますし、いまやYouTubeですぐに調べられる時代です。
しかも、4歳とか5際とかでもアクセスできます。
内容を理解できているかどうかは分かりません。
低年齢児は、性的虐待に遭っても、自分に何が起きているのか分からず「お父さんがへんな顔をしている」ぐらいの認識しか持てません。
ただし、「なんか変だ、おかしい、不気味だ」といった感覚があって、プレイセラピーなどで再現することもあるわけです。
そのぐらいのことなので、特にMTFの場合は、自身の性行為について公開することは控えた方が良いのにな、と思う訳です。
将来のパートナーのために、できるだけ深く造膣しました、とか、ダイレーションはパートナーでしていますとか、嬉しいのは分かるし、言いたくなるのはとても分かるのですが、生々しく、場合によっては恐怖なので、人権拡大と世界が葛藤しているなかでは、「素敵なパートナーと巡り合うことができました」ぐらいで抑えた方がいいのではないかと、おせっかいにもそう思うのです。
ただ、一方で、キャリアの話はして欲しいかもしれないな、と個人的には思っています。
仕事の話を聞くと、多くの保護者にとって、いい判断材料になると思うのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。