続きです。
↑前記事
四年が経過した今、自分の事件に向き合ってみようと思い本当のことを聞きました。
親に聞いても、いつも濁されていたので他人を介して知りました。
私は勝手に示談金も取り下げしていたので裁判で有罪になったと思っていました。
示談を成立させたら犯人は釈放されて、示談金をもらわなければ相手は刑務所に入るとずっと思っていました。
しかし、私がその時裁判にしっかりと向き合わなかったせいで犯人は不起訴になったらしいです。
悔しかったです。今になって知って怒りと悲しみが凄く込み上げてきました。
けれどあの時の自分のことを思い返すと、どう頑張っても事件と向き合うことはできなかったと思います。
心も体も傷つけられ、事情聴取、現場検証ですらも地獄のような時間で話すことすらも嫌になってしまった状態で更に1ヶ月ごに嫌な記憶を思い返して事件の詳細を話すなんて絶対に無理です。
場所が東京でしたので話はほぼ電話で済ませました。事件内容がレイプでしたので勿論汚い言葉を話さなければなりません。
親の携帯電話で警察とずっとはなしていたので、親がいる前で私に代わって事件のことを詳しく話してと言われて、警察官の方も男性です、私はこんな内容を親や異性の前で話すなんてどうしても恥ずかしくて言えませんでした。軽い拷問のようなその空気で、私は本当に被害者なのかわからなくなってしまいました。
別日にまたかかるからそのときまで内容しっかりと思い出してまとめておいてね。と言われました。
それから毎日のように電話がきたけれどわたしは答えることができませんでした。
私がなかなか詳しいことを言わないせいで呆れられていたと思います。もう少しなんかないの?と警察官の方に催促され、その時は早く記憶から消し去りたいとしか思っていなかったので忘れました、とばかり応えました。
それがきっと犯人の不起訴に繋がったのだと思います。
事件が不起訴と聞いて、不起訴という単語の意味を必死に検索しました。
無罪で前科もつかずに解放される。
という文章を見た時は絶望してこえも出なくなるくらい泣き叫びました。ただただ辛かったです。
自分のしてきたことはなんだったのだろうと考えていました。
相手は私に深い傷を合わせた挙句、不起訴処分で最高な気分だったでしょう。きっと私のことを今でも馬鹿にしていると思います。
これだけ戦ってきたのに、私に残るものは何もありませんでした。
心の傷と不起訴になったという事実への後悔を背負っていくことになりました。
当時は苦しい記憶を早く消して普通に生きたいと思っていました。
けど忘れられないと知ったいまは逆に思い出すたびに悔しい気持ちもありますが、過去の弱かった自分を変えようと前を向くようにしています。
フラッシュバックも唯一生きている実感が湧く時間です。