自己肯定感を高めたい!才能がなくたって
転職をして、ありがたい事に、優れた才能や特技を持っている人に出会う機会が多くなり、その度に「素敵だな」と惚れ惚れしてしまう。
何か一つの事を極めている人ってかっこいい。
この流れで私は○○が得意です!!
って言えたらいいのだけど、残念ながら私にはそんな特殊な能力も才能もない。
何かの物事を長く継続してきたと胸を張れることもない。
そして、好きなことは沢山あるけれど、何もかも忘れるくらい、没頭できる事もこれといってない。
本当にごく普通の平凡な人間。
そんな事を考えると、自分という人間が少しちっぽけに思えてくる。
けれども、私はある素敵な言葉に出逢って、自分という人間の価値を自分で下げてしまうような思考は辞めようと思った。
とにかくここ最近はというと、自分にとっての「これだ」と思える武器を見つけたくて、頭の中がそのことでいっぱいになっていた。
「まだ、私が経験していない、出逢っていないことの中に、没頭できるものが潜んでいるのでは」とスクールに通ってみようとしたり、新しい事を始めてみようと、SNSで少しでも興味のあることを調べたり...
学生時代から、どんな物事においても平均を取ることは得意だった。
だからといって突出して得意なこともなく、「才能のない私は、とにかく与えられたことに対して、人一倍努力していかなければならない」なんて思っていた。
そんな私が最近出逢ったのが
”自分の価値は自分で決める”
という言葉だ。
「アンという名の少女」という映画の中で、主人公のアンが、真っすぐな瞳で強くいう台詞。
「ああ、私が今欲しかった言葉はこれだったんだな」と胸がスッと軽くなった。
自分を認める事って本当に難しくて、いつでも自信にみなぎっていたらどんなに楽に生きれるだろうなんて考えていたけれど、
とにかく、自分の価値を自分で上げてあげられないとしても、下げてしまうような事は辞めようと思った。
私には、突出するものはない。けれども好きなことは沢山ある。
それと同時に、特技とは言えないかもしれないが、苦労しなくても出来ることもいくつかある。
例えば
・文章を書くこと
・キャッチコピーを考えること
・動画編集
・読書
・インテリア
・ハンドメイド
・珈琲
・人と距離を縮めること
その時々で熱量は変わるし、一つの事を極められる人間ではないけれど、この言葉をきっかけに「私には沢山の引き出しがある」と考えるようにした。
どうせなら、もっと沢山の引き出しを作って、自分を面白い人間にしてやろうと思えるようになった。
そういった気持ちで毎日を過ごすことで、いつか何かに繋がるかもしれないし、繋がらなくても、その時々で思いっきり楽しんだ私の人生は、きっと良いものになるだろう。
自己肯定感をなかなか高められないのが、私の悩みでもあったけれど、自分の価値を「上げること」に意識を向けるのではなく、とにかく「下げない」ことに向けて行こうと思う。
それにしても言葉の持つ力って凄い。
私はいくつもの言葉に支えられて、時には背中を押されて今日ここまで生きてきた。
そして、また一つ新たな言葉という名のお守りを胸に刻むことが出来た。
明日から更にまた少し、前を向けるような気がする。
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