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港区女子からホームレス起業家へ

先にお伝えしますが、背伸びして贅沢三昧しすぎて、お金がなくなって仕方がないから、ホームレスになったわけではありません。

現代のお洒落な言い方だと、究極のミニマリスト。

私はこれまでつくられてきた価値観を全て新しく変えて、成し遂げたい事のためにどこまでマインドが耐えられるのか、アメリカに行っても勝てる力をもっているのか、究極まで知るために全てを捨て、生きる力を鍛えてきました。
そのために今まで何をしてきたのか説明します。


ヘッダーの写真は、脳を活性化させるために
納豆巻き・かに味噌汁・生姜・醤油・緑茶を補給している様子の写真。
天下寿司という寿司屋で、天下取るための脳補給食なので「天下セット」と勝手に名付けて食しています。

現在の状況
私は現在、サンフランシスコ(シリコンバレーの近く)でITスタートアップとして今年の5月に登記したばかりです。サービスはSports SNS。今回は、起業目的の起業ではなかったのでプロジェクトとして先に進めていましたが、会社を持っていないと信用性がなくなってきたので、ついにアメリカで登記しました。


なぜ全ての生活を捨てたのか?
これから行う事業領域は安易に踏み出しても、成功するまでやり続けないとできないし体力が日々奪われるもの。30歳手前の女として、途中で投げ出さずに人生を全て捧げて成し得たい事なのか、究極まで自分で体感したかった。
※アメリカでやるなら最低1B企業価値を出す


今しか取得できない&今後のために知るべき事を今、全てを失うほどの経験をすれば、まわりに迷惑をかける率を低くできる。そして強くなれる。
いきなりアメリカでサービスをやり遂げるマインドセットは、そう簡単な事ではありません。まだまだ日々、勉強し続けています。

しかし10月の初渡米から、起業を決意するまでのこの時間の過ごし方で
やっとスタートアップ経営者としての人格基礎が身についてきたと考えます。

そしてやっと、初期最大の苦を超えた気がするのでnoteに書いてみました。
といっても、まだ序の口。(ひどすぎる事は、まだ書けません。)

何をやったのか
・うまく成し遂げようとしないに徹する
これまで、うまくやって成し遂げようとした自分がいました。それは実力ではないので実力をつけるために、うまくやろうとしない行動に変えた瞬間、
全くの無力になります。

・悪いマインドを根源から刈る
なぜこういう状態になったのか、マインドの根源から改善しようと自分を分析していくと、幼少期の体験が大人になった時に大きく影響を与えてると心理分析を発見。まずは、自分の幼少期に消した記憶と向き合うところから、個人の問題を解決する事を始めました。一番さけていた事なので、辛かった。

・英会話のやり直し
日本で勉強したオンライン英会話の発音と、アメリカネイティブの発音が全く違うので、何を言ってるか解らず英語をリスニングから勉強し直し。スタートアップで使われる用語を中心に勉強し続けます。

・プロダクト知識量の層を厚くする
アメリカ在住スタートアップは、プロダクト知識量が日本より圧倒的に高いので、寝る時間を5時間にして部屋にこもり、対等な知識をえるために毎日1〜2個のプロダクトをダウンロードし続けて、何が面白いのか、なぜUSのユーザーは使うのか、なぜこのようなデザインや機能が必要なのか、アメリカのプロダクトUI・UXを分析し続ける。ただ、アウトプットが全然うまくいかず、理解するまで、外に出る時間を削り基礎を学びつづけます。
今考えると、外には出て、ディスカッションした方がよかったと思います。

・プロダクトを見るだけではない、お金を払って体験する
ダウンロードだけの分析だけではなく、実際にサービスを使って体験や購入をしなければ意味がないと解り、プロダクトを体験するためにお金を使い続けます。

・チャンスのためのお金だから。。。がそろそろやばくなる
パフォーマンスを上げるために、体験に必要なものだけに絞ってお金を使っていたが、そもそもアメリカの賃金が高すぎて資金が爆速で減ります。

・渡米が難しかった時代に、海外で事業を行った日本人は何をしたのか
プロダクトと企業情報だけではなく、偉人についても研究する。
例えば、過去にアメリカで活躍した日本人の行動や歴史、現在活躍する人たちの背景を見て、その時代を想像してイマジネーションを膨らませていました。

・場を荒らしに荒らして、いつのまにか1人に
自分の脳内にあるプロダクトの思想を概念として言葉に出す事がうまくいかないので、納得するものができずまわりをどんどん巻き込むが荒らしていく。
協力いただいていた技術者が作ったものすらどんどん壊していく自分に耐えれなくなり、完全にこもってまだ勉強をする。気がつけば1人っきりに。

・能力がない自分を認め、あきらめる道を考える
開発を開始してから、毎日改善しているが全然壁を超える事ができず、求められる価値がつくれない自分の能力に対して、私はスタートアップをする意味や必要があるのか、本気で一度、諦める道を考えました。
2日後には、PC前にいて作業をしていた。


・仲間の大切さ、技術者の尊さに気づく
本音を言えて、相談できる相手がいないと気づき、仲間の大切さや、技術者に対しての信頼感、尊敬、仲間意識について1から学び直す。
まわりを見渡せば、ハイレベルな大先輩に囲まれていた。こんなチャンスは二度とないし、また一緒に進んでいきたかったので、やっと本音を言えるように心を開く。受け入れてくれた時は、感謝の気持ちしかありませんでした。
ここでやっと人との関係性について、一皮むけたと思います。

・使命感を感じるプロダクトマーケットに出会う
やっと自分の使命を見つけて新たなプロダクトを開発するが、マーケットについて全ての友人に否定をされる。しかし、ユーザーと話をするとプロダクトの可能性を強く感じたので、体力あるかぎり必死に向き合い続けました。

・なぜやりたいのか、何のためにやりたいのか明確に
改めて自分の成し遂げたい事を深く認識する。やり遂げたい事は何なのか。
なぜ世の中に良い影響を与えたいと考えるのか。脳内にある言葉の概念をつかみだしてきます。

・時間と集中力の保ち方をさらに向上させる
アメリカでは、食費節約・料理時間を節約・脳のパフォーマンスを高めるために朝はバターコーヒー、その他はデットクススープなどすぐ作れるスープのみで食を過ごすようにしたら、さらにやり続ける体力と集中力がついてきます。

と、ここまでやってやっと、ストイックにできるためのマインドウォーミングアップ力がついてきたと考えます。

そもそも自分自身に大きな問題があった事に気づきました。ですので、環境を思いっきり変えた事で、より深く本質的に得たい未来を知れたというのは、全てを捨てて行動をした事が間違いではなかったと考えます。


ここまでの経験で芽生えた、技術者への仲間意識
1人ではなく、プロダクトに関わる仲間たちと新しい世界を作り、世の中に良い影響を与えるために挑戦し、生きた価値となる最高潮の喜びを、仲間たちと一緒に分かち合いたい。私は、下から支える立場として、技術者が最高のパフォーマンスを発揮する場を作っていくと心に決めました。
そのためには、まだまだ自分のプロダクト基礎力を上げていかないといけません。以前だと、ここまで感じなかった事だと思います。

ちなみは今回は、2度目の起業です。(現在の年齢29歳)


2016年6月
Tech in Asiaに取材された時の写真。(文字だけ出場しました!)

https://www.techinasia.com/traveled-halfway-world-silicon-valley

没頭している毎日が幸せでなりません。ずっと探し続けていた自分の居場所。

日本でもアメリカでも毎日スポーツウェアを着ているのは、ユーザーとすぐにスポーツできる時間を定期的に作っているので。最高な息抜き!

2015年9月、家具・装飾品・全てを捨ててトランク1つでアメリカに。
「サンフランシスコに行き、世界に通用するビジネスモデルを勉強し、グローバルサービスを作る土台を学びたい」そんな一言が順調に進みだした昨年末。

運よくサンフランシスコに約3ヶ月行ける時間のチャンスを手に入れました。

やるなら、日本を捨てる気持ちで飛び立とう!と考え、9月の出発に向けて家を解約し、コレクションした家具はairbnb事業をしている人にあげて、洋服やバックなどはメルカリで売ったり、捨てたり。
モノへのしがらみが消えた瞬間は、不思議と気持ちが明るくなりました。


出国までに初プロダクトを用意
日本出国まで、アメリカに行くなら自分でモックを作り、現地で見せてフィードバックを得る機会を作りたいと考えました。

prottアプリ開発ノートを購入し、プロダクト開発の仕方を調べて、まずはニーズとストーリー書いて、利用シーンを考えて、モックを手書きで行い、PC上でそのままデザインを起こして作る。
納得せず壊す。相当微調整しながら、また壊す。(これ時間の無駄でした)
ここから、はじめてのプロダクト開発がはじまりました。

今後は、開発したプロダクトについて、詳細も書いていきたいと思います。
なぜ失敗したのか、なぜそのサービスを考えたのか。など!


そもそもなぜ東京で、港区に住んでいたのか?
以前は大阪に住んでおり、東京に引っ越す頃かなという出来事が続いたので、1日限定で東京に来て引越し業者へ。大量の書類の中から内覧2件まで絞り、約4時間ほどで物件を申込みまでいきました。迷ったのは日本橋と南麻布。
最終判断は、ロードバイクで都内を行動しやすく、終電を気にする事なく安心で安全を考えたのが、その物件でした。

新しい東京の地でひとり暮らしスタート。その次はアメリカに行くとは、全く想像していませんでした。このような生活になる事も。

あまり人につらい経験話ができないというのと、苦しすぎると忘れてしまう性格なのですが、将来の起業家のためにも、世界を目指す誰かの参考になるためにも、起業日記として、今後書いていきたいと思います。


一流のSNS技術者が集まるアメリカに飛び込み、新人の日本人女性がいきなりやり続けていけるのは、私のような線が外れている大馬鹿ものしかできない。
これがチャンスを掴む行動と信じています。私は信じています。
世の中のコミュニケーション方法が変わる事を。

港区女子からホームレス起業家へ変わり、アメリカで住所をもつまでこれからどのような物語があるのか。
これから、皆様に面白い世界をみせる事ができると思います。


これは、まだ始まりのはじまりです。今後もよろしくお願いします。



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