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【観劇感想】「燃ゆる暗闇にて」2024.10.10サンシャイン劇場

「燃ゆる暗闇にて」
アントニオ・ブエロ・バリェホ原作
2024年10月5日(土)〜13日(日)サンシャイン劇場
出演: 渡辺碧斗/佐奈宏紀 坪倉康晴 ※Wキャスト 熊谷彩春/コゴン 高槻かなこ 雨宮 翔(GENIC)松村 優 菅原りこ 日髙麻鈴 壮 一帆

10/10のマチネを観劇してきた感想です。
※Wキャストは坪倉康晴さんでした
書いているのが渡辺碧斗くんのファンの者なのと、いろんな視点から見られる物語のため感想が散らかりそうだったので、ほぼ碧斗くん演じるカルロスのことばかり書いております。ご了承ください。


とてもとても重いお話でした。
舞台はスペインの全寮制の盲学校。秩序正しいユートピアのようなその場所にひとりの転校生が来たことで、学園全体が混沌に陥っていく…という導入です。

学園のヒーロー、カルロス


碧斗くんの役は優等生で学園一のリーダーシップを誇る生徒カルロス。
うぉ!眩しい!!!!ってくらい爽やかでまっすぐでカリスマで、とにかくめっちゃ爽やかな青年。
みんなのまとめ役であり、先生からの信頼もあつい、まさにヒーロー的存在です。
(先生の名前が「ドニャペピータ」で、発音しづらそうだし連呼するしでみんな大変だーって思いました)


彼ら学生にとって、学園は自分たちが安全に暮らせる世界。
施設の全てを把握しているから行動するのに杖もいらない。なんの不便もない。
学園の教育方針によって「自分たちを盲人と呼んではならない、人間は全て平等、見える人と変わることは何も無い、自分たちにはなんだってできる」という思想を強固に教え込まれています。
ちょっと不自然なくらいに全員がポジティブで幸せそうで、いい子たちばかり。

”異分子”転校生イグナシオ


対して、転校生のイグナシオは今まで目が見えないことで沢山の辛い思いをしてきたため、彼らのポジティブさを紛い物だと糾弾します。「自分たちはどこまで行っても盲人なんだ、所詮この世界は見える奴らのものなんだ、見えるものたちのマネをして幸せなフリをしてどうする」という主張は生徒たちを困惑させます。


当初はネガティブで悲観的な彼を嫌って、学園から出ていってくれることを願った生徒たちですが、見える者が知っている「光」というものへの憧れを隠さず、自分の辛さを堂々と吐露するイグナシオにしだいに惹かれていき、かれをカリスマとして祭り上げるようになります。


イグナシオの主張を間違っていると訴え続けたカルロスは、やがて孤立してしまいます。
独りで中庭のベンチに座るカルロス。目がみえないということは…たとえそこにいたとしても誰もかれの名前を呼ばなければ、存在していないということと同じなんだ、と伝わるシーンがものすごく苦しかったです……。

価値観の相違による対立

「与えられたものに感謝して生きていけ」という学園の教えを頑なに信じるカルロスと、光を希求し「自分達が哀れな存在であることを忘れるな」と主張するイグナシオ。

パンフレットによれば、
”イグナシオは「光が照らし出す地球そのものの姿が真実」だといい
カルロスは「それをどう認識するかが真実」だという”

とのこと……なるほど…

どっちが正しいとかそういう問題ではないと思うのだけど。
まだ若く、世界を知るすべをもたないかれらには、自分が認識できるそれらだけが自身のよりどころだったのかもしれない。
思春期のヒリヒリするような潔癖さと繊細さがいたましかった……。


そしてカルロスはドニャペピータ先生から、学園の秩序を取り戻すように言われて、イグナシオを排除することを決めます

この先生、ちょっと軍隊みたいにポジティブスローガンを復唱させたり
カルロスにペールギュントの物語を持ち出して「人間には分相応というものがある」と示唆したり
「キリストの処刑を望んだのはローマ皇帝ではない、市民だ」と、暗にイグナシオがいつわりのキリストであると伝えたり、とても強権的で不穏で、にこやかに神(権威)への絶対服従を強いてくるところが怖かったです。

「私は見えています、見えていないイグナシオとどっちが正しいと思います?」と迫るところとか、愛はあるけど明確に線引きしてるんだなって感じた。
壮一帆さん、歌めっちゃうまかった………背筋ピーーンしてすっごいカリスマ性あった……ヒールで闊歩するのカッコよかった………)

というか生徒に生徒を排除させるなよおおお
目をかけて期待して可愛がっているのはとてもわかったけど…カルロスにだけあまりにもたくさんのことを背負わせすぎだよ!ひどいよ!

起こってしまった悲劇

イグナシオは生まれて初めて自分を受け入れてくれる人たちと居場所を得て喜び、 カルロスが自分とおなじ孤独を抱えていることに気づき、歩み寄ろうとするけれど…
自分に欠けたものがあることを受け入れたくないカルロスは拒絶する
(この辺冒頭と関係性が逆転したんだね)
「この学園から出て行ってくれ」と告げられたイグナシオは
ここにも自分の居場所はないと思ったのかな。


自分だけの光をつかもうと手を伸ばして、屋上から飛び降りた。


ここ!最初カルロスが突き落としたのかと思ってしまったんだが!!!!!
先生が目撃していて「あなたはなんてことを!」って言ってたから!
でもこれ、「飛び降りるのを止めなかった」だよね…きっと……………
せんせいは「そんなつもりじゃなかった!」と言ってたけど……
あの言い方じゃカルロスを追い詰めるだけだったと思うんだ!!!!!

イグナシオの死を無邪気に悼む生徒たちのことを、まるで壊れてしまったように嘲笑うカルロスの姿が辛かった。
しょせん彼らは与えられた思想を受け取り強いものに靡くだけ、その姿こそ自分たちが箱庭で生きてるんだという事実を思い知らされたのかもしれない。
きっとカルロスは誰のことも愛してはいなかったんだと思う。イグナシオが屋上から飛び降りる瞬間まで。
そして、初めてその時分かったんだろうな、かれと自分は同じなんだと、その孤独の深さを。


そして、絶望したカルロスもまた光へと手を伸ばし、みんなの止める中、屋上から身を投げてしまいます。


なんという辛い話だ!!!!!!!

ですが…ここのカルロスの気持ちをどう解釈したらいいのか、正直私は観てからずっと決めきれませんでした。

カルロスの行動について考えてみる


目の前で命を絶ったイグナシオが自分の半身だったと気づいたがゆえの絶望なのか
求める光が自分には絶対手に入らないと悟ってしまったためなのか…
そういえば冒頭で彼は休暇中に外の世界でバスに乗ったり、スタジアムに行ったり、色々な体験をしたときのことを語っていました。
楽しかったがあれは自分たちの世界ではないと。
…かれはすでに、箱庭の外へ出た時受ける疎外感を体感してたんですね。その気持ちに蓋をして見ないようにしていただけ。
それをイグナシオが突きつけてきたのがずっと怖かったのかもしれない。
だから…自分も光を掴める世界へと跡を追って旅立ったのかな……。

先生に対してひどいよー!とさんざん書きましたが
この教育方針もかれらが誇りを持ち自立して社会で生きていけるようにとの思いなんだろうということは痛いほど伝わりました。ただ、服従と囲い込みでほんとうにそれは可能なの?と…。

パンフに、碧斗くんとカルロスの恋人ホアナ役の熊谷さんが視覚特別支援学校へ見学にいったことが書いてありましたが、そこでは日常生活の指導を徹底的にすることとコミュニケーション力をつけることを重視するんだそうです。自立することを何より目指すには人とのつながりが一番大事なのですね。
この社会が見えるもの向けに作られてしまっているがために、多大な不便を被っている見えない方々。見えるもの以上に社会への向き合い方が切実であることを思い知らされました。

けれど、カルロスも言っていたように、
それはきっとどんな人でもそれぞれが抱えてる辛さでもあるんだろうと思います。
カルロスのように閉じた世界の中からの主観だけでもだめで、
イグナシオのように俯瞰しているからこその自己憐憫だけでもだめで、
………2人がもっと話し合えたならよかったのに………。
共鳴しあっていることに気づけたならよかったのに……。

カルロスを演じる碧斗くんがとても素敵だった

重い辛い話でした。
…でも彼らは最後まで光を求めていたんだ、ということと
碧斗くんの演技がとっても力強く輝きにあふれてたので救われました。

碧斗くん、すごく重い大変な役だったとは思うのですが
繊細な演技で真っ直ぐに演じる姿も、信じていた世界が壊れてしまった引き攣って乾いた笑みも、つぶやくように歌う最後のうたも、めちゃくちゃ良かったです!!!

碧斗くんって、私の勝手な印象ですがとても思慮深く内向的で、ものごとを深く考えるひとだと思ってるんです。きっと、そういう悩みや内省を一周回ってすごく強くなった方なんじゃないか、と本当に勝手に思っておりまして。

そういう生命感が溢れていたので、観劇後も話の重さにドツボにはまったりしないですみました
なんか、…上手く言えないんですが、最後は死んじゃう役なのに、安心して作品に浸れました。ありがとうございました。

歌声もすごくよかったです。
力強くてまっすぐで
上手いかとかそういうことより、台詞の延長みたいにすごく心がのった歌声で………
心情の吐露のようだったり、祈りのようだったり
苦労してるとインタビューにあったけど堂々とした本当にいい歌声でした。

このむずかしい役を全力でつくりあげたお二人に心からスタオベを贈りたいです!

原作の戯曲も読んでみた


観劇後、原作の戯曲も読んでみました。

ミュージカルはとても美しくアレンジされてるんだな…という印象。

原作の方がもっと欲求に対して生々しいというか、視力の有無に関わらず持ちうるルサンチマンが強烈だと思えた。
同時に、我々は見えぬ人の光への憧れを美しく消費しすぎてないだろうか、という思いにもとらわれた

イグナシオの憤りは「多数の人間が享受しているもの(光)が自分には与えられてない」ことへの狂おしい怒りと自己嫌悪であって、虐められた子が一面では尊大になる事と同義だと感じた。

ゆえに、彼女を欲しがりながら同時に女子そのものは蔑むという思考になるし、盲人を卑下しながら生徒達には優越性を示す。
見えるものと見えないもので結婚しているドニャペピータを馬鹿にして、
「見えない者に好意的だったり結婚するような目あきの女はブスばかりだ!」と言い放つ(これはさすがにそのまま上演できないね)

カルロスに対して「お前は見える者の真似をしてる」と詰りながらも、”美醜”という見える人の判断基準にこだわっている。こういう、思春期のコンプレックスの強い男の子って本当にたくさんいるよな。

だからこそ、視力のあるなしはいったん置いて、これからの自分のありかたに対する不安と憤りを抱えたこどもたちの悲劇として生々しく感じられた。
答えの出ない問題だからこそまた、書かれてから何十年もたっても普遍性をもつのだろうな…。
舞台、戯曲ともに触れられてよかったと感じた作品でした。


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