時は金なり
不平等なことの方が多い世の中だが、1つだけ平等なことがある。
それは時間だ。
1日は24時間。早送りも巻き戻しもできない。
これだけは、全ての人に平等に与えられている。
しかし、そんな当たり前のこと、
日常生活の中で考えることなどあるだろうか?
例えば、明日が誕生日だとしたら、何を思う?
その夜、私は娘とベッドの中で話をしていた。
「明日の朝起きたら、三歳だね。」
「三歳の次は?」
「四歳だよ。」
「その次は?」
「五歳。」
「その次は?」
「六歳、七歳、八歳、、、、」
すると、「その次は、二歳?」と聞いてきた。
「二歳にはもう戻らないよ。」
「どうして?」
娘の顔が曇った。
「二歳も三歳も一生に一回なんだよ。毎日過ぎていくから、戻ることはできないんだよ。そんなに二歳が楽しかったの?」
「うん。」
「そっかぁ。二歳が楽しくて良かったね。お母さんも嬉しいよ。」
娘の顔は曇ったままである。
「どうして二歳には戻れないの?」
「せりちゃんさ。毎日お日様が出て、朝が来るでしょ?
一日遊んだらお月様が出て夜になるでしょ?
毎日そうやって一日が過ぎていくでしょ?
これはね、もう決まってることなの。
だから『お月様出ないで、もう一回お日様戻ってきて!』って言っても、
できないんだよ。」
「うん。・・・・・どうして?」
「じゃあさ、せりちゃん、今から昨日に戻ってみて。戻れる?」
「戻れない。」
「だよね。誰も、昨日には戻れないんだよ。
逆に楽しみなことがあったとしても、先に飛ぶこともできないんだよ。
毎日毎日、同じ速さで一日が進んでいくんだよ。」
過去に戻れないという現実を突きつけられた娘は、
「どうして昨日には戻れないの?」
と、ベソをかいた。
一歳から二歳になる時は、誕生日の意味すらままならなかったのに、
この一年でこんな哲学的なことを思うようになったのかと驚いた。
そしてたまらなく愛しかった。
娘はまだ、ションボリとしている。
「せりちゃんさ。三歳になったら、ナント!『アメ』が食べられるんだよ〜!」
「やった~!」
曇っていた顔が、パッと笑顔になった。
やはり子供である。
「せりちゃんね。二歳はできないことがあったでしょう?
三歳になるとね、二歳にはできなかったことが沢山出来るように
なるんだよ!お刺身も食べてみようね。お蕎麦も食べてみよう!
三歳はね、二歳よりもっともっと楽しいことが待ってるよ。
良かったね!」
娘の顔が、みるみる笑顔になった。
「三歳になったら、どんな顔になるかなぁ。
三歳になったら、手も大きくなるかなぁ。
足はどうかなぁ。オッパイは大きくなるかなぁ。」
楽しかった二歳が終わり、三歳になることに対して、
楽しみと不安が混在している。
そして同時に、『時』というものを少し理解した。
時間は、巻き戻しも先送りもできない。
あるのは、『今』の積み重ね。
子供の豊かな感性は、大人にとっての『当たり前』を、
考え直させてくれる。
娘の二歳最後の夜は、私にとって感慨深い夜となった。
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