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私は「美人」じゃないけれど

 今朝、家族の朝ごはんを準備していると、夫が唐突に「あのさ、こじはるに似てるって、褒め言葉になると思う?」と訊いてきた。
 はて、こじはるとは、かの小嶋陽菜さんのことだろうか。それはもう、褒め言葉中の褒め言葉でしょう!
「めっちゃ褒めてるでしょ。だってこじはるだよ? 私は個人的にこじはるの顔というか、体型が好き」←訊いてない
「そうかあ〜。いや、昨日職場の〇〇さんと話してるとき、こじはるに似てるなって思ってさ。言わないほうがいいかな」
「いや、こじはるに似てるって言われて嬉しくない女子いないから。全然大丈夫だって」
「だけど、誰々に似てるね! ってやつ、結構デリケートじゃん。やっぱやめとこ」
 じゃあなんで訊いた? と釈然としない気持ちで、三つの器にヨーグルトをよそう。もしこじはるに似てるって言われたら、一生自慢しまくるけどな。
「私がもしこじはるに似ていたら」というありえないタイトル構想を隅に置きつつ、「誰々に似てるね!」にまつわる苦い経験を思い返した、三十三歳の初秋。

 突然ですが、私はとても薄顔です。
 男性であれば、最近(いや、結構前からか)もてはやされがちな「塩顔」といったところか。要するにまあ、色白でうすらぼんやりとした顔なんです。残念ですが、間違っても美人とは言えない。
 私の「芸能人の誰々に似てるね!」エピソードは片手で数えるほどしかありませんが、最も嬉しかった(と同時に衝撃的だった)のが、大学一年生のときに言われた吉高由里子さん。あれは本当に嬉しかった。ちなみに、それ以来一度も言われていない。
 珍事件と呼べるのが、バイト先のギャルに言われたセカオワのFukaseさん。いや、性別違いまんがな。Fukaseさんのお顔は好みだけど(なにを隠そう私は生まれてこの方一重まぶたの薄顔男性にしか興味がない)、似てると言われると複雑だな(どうしても性別の壁が)。
 そして最後に、黒木華さん。忘れもしない大学四年生の冬、同じ学科の女の子に言われたのですが、批判を承知で言うと、当時はめっちゃくちゃショックでした。

 というのも、私が大学生だった2010年前後って、濃いめのメイクが流行ってたんですよ。エビちゃんとかが全盛期で。ぶっといアイライン、ラメラメの濃いアイシャドウ、ボリューム一択のマスカラみたいな(メイベリンのボリュームエクスプレスが流行っていた気がする。ご多分に漏れず使っていた)。
 で、私も超薄顔ながらそういうメイクに必死で寄せて、「今風」になりたいともがいていたんです。今思えば似合わなさすぎて黒歴史なんだけど、当時はそこそこイケてると思ってた。
 そこにぶっこまれた、透明感たっぷりナチュラル女子代表格の黒木華さん。「は? なんで? どこが似てんの?」と涙目になりました。あまりにショックで、しばらく引きずりました。

 時は経ち、三十歳を過ぎてから観た「リップヴァンウィンクルの花嫁」で黒木華さんの可愛らしさと存在感にすっかり魅せられた私は、大好きな柄本佑さんと共演している「先生、私の隣に座っていただけませんか?」でさらに彼女のファンになり、「黒木華ちゃんめっちゃ可愛いじゃん……!三十すぎてこの透明感ありえる?」と呆然としました。
 本当に可愛い。何回見ても可愛い。なんというか、「この人だけの可愛さ」がある。髪型もメイクも全部、「自分に似合うもの」を会得してモノにしている。

 そう、三十歳を過ぎて一番欲しいものは「盛り耐性」ではなく「透明感」。
 ぼーっとしてるだけで肌はくすむし、吹き出物は治らないし(ニキビではないところがまた悲しい)、白髪なんかも出てきちゃう。髪振り乱しながら仕事家事育児して瀕死状態の中、毎日フルメイクとか無理だし。
 だけど、「透明感」さえあれば。ベタベタ作り込まなくてもきれいなお肌と清潔感があれば、毎日をもう少し機嫌よく過ごしていけるんじゃないかな。三十歳を過ぎて間もなく、そんなことに気づきました。

 十代、二十代のころ私が持っていた「可愛い」の基準って、どこかから吹き込まれて信じ込んでいたものなんだと思います。今ほどネットとかSNSも発達していなかったから、基準がかなり画一的だったのかも。
「自分はブスだ」とすごく思い込んでいた。世間で「可愛い」とされている「大きな目、二重まぶた、忘れ鼻」をひとつも持っていない自分はものすごくブスなんだと劣等感でいっぱいでした。つらかったなあ。自意識過剰な劣等感って、行き場がどこにもないんですよね。
 三十歳を過ぎた今、楽しいのはメイクよりスキンケアです。隠すより保つことに重きを置いている。肌の調子に合わせて美容液やクリームを変えたり、朝晩で効果の違う化粧水を使ったり。クレイパックは週一、デコルテのお高いクリームクレンジングも週一のご褒美。肌が荒れないと、気持ちも荒れないことに気づきました。

「きれい」について自分だけの物差しを持っておくことはすごく重要で、それによって「可愛い」「きれい」「美しい」の幅がものすごく広がる。たとえ「大きな目、二重まぶた、忘れ鼻」を持っていなくても、自分自身がきれいだって満足していたらそれでいいんだよ。そっちのほうが断然楽しい。
 もし二十代前半の私が夫から同じ問いを投げられていたら、「〇〇さんはこじはるみたいに可愛いってこと?! そりゃ私は目が小さくて顔薄くてブスだよ、私とは大違いだよ。いいよなあ、目が大きくてはっきりした顔の人は」といじいじして、収拾がつかなくなっていたと思います。
 私が美人でないことは昔も今も未来も変わりありませんが、気の持ちようで「きれい」の基準はものすごく変わるんだなって話です。

 あー欲しいなあ、透明感。透けそうで、年齢不詳なやつ。
 まあ、「黒木華さんに似てる」も、あれ以来一度も言われてないんですけどね。


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