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持っていない者
私には運がない。
「私ってなんて運がいいの!」と思えた出来事なんて人生の中で数えるほどだし、その快感と高揚感はだいたい長続きしない。
長らく続く低迷(という名の通常運転)を経たあと、ささやかに花開くように上昇する瞬間がおそらく誰にでもあって、その瞬間が実は一番怖いものなのだけど、それからまた低迷(という名の通常運転)に戻ってしまう。
通常運転に戻ったあとの過ごし方が、自分の目標なりやりたいことなりを実現させるためにすごく重要なんだけど、結局いじいじと低迷(それが通常運転だとは気づかず)に飲み込まれてしまう、というのが私という人間です。同じ人、怒らないから手挙げて。
新聞を読んでいると視界の下方にちらつく「これでアナタの運気もうなぎのぼり!」みたいな胡散くさい本が大嫌いです。こんなものでうなぎのぼってたまるか。うなぎのぼることを120%決めつけてきてるあたりがムカつくのかもしれない。
どんな本からどんな影響を受けてどんなふうにマインドが上昇していくかって、その人それぞれでしょう。だいたい、本を読んだだけで運気がうなぎのぼることなんて絶対にない。本を閉じたあとにどういう感情になってどういう意思を持ち、どういう行動をするかが重要なんだろうと。
(新聞、スピ系とか胡散くさい本の広告が割と多いのなんとかならんのかなあ。でかいから嫌でも目に入るんだよな。たいてい一面二面にあるし)
私は2019年夏から「櫻沢(当時は“桜沢”表記)菜奈」としてWebで創作活動をしていて、これまで載せてきた作品は運良く(ここは素直に認める)多くの方に読んでいただけたと思っています。
本当に、「運が良かった」と思います。選んだ投稿サイトの読者層との相性が良かったのでしょう。たまたま選んだ場所だったので、本当に「運」としか言いようがない。
まるでプロ作家のように一丁前に読者さまからお声掛けをいただいたり、コミカライズの話をいただいたり、実際に素晴らしいクオリティのコミカライズを制作いただいたり、それはまあ、夢のような経験をさせていただきましたとさ。
それとは裏腹に、「ああ、私は持っていない者なんだな〜」と痛感したのも、この数年の経験からでした。
「運の良さ」の先って獣道か崖になっていて、自分で道を切り開くか橋を渡すしか進む方法がない。それを、未熟な私は知らなかった。
たまたま舞い込んできた「運の良さ」に身を委ねたまま、上昇の一瞬をいつまでも夢想して、とっくに通常運転に戻っていることにも気づかず、低迷どころか墜落していた。気づいたのは、穴の底に尻餅をついてからです。
尻餅をついた瞬間に目が覚めればまだ良かったんですけど、自分のはるか上方、薄暗い穴の中から見える地上で成功している作家さんたちをそれはもう、羨みました。きらびやかな世界。自分もそこの一員だ、と思っていた世界。
それから2年近くは暗黒期で(と言いつつも、読書にガツガツ精を出せたから結果オーライかもしれない)、新作はおろか番外編を書くのがやっとだし、迷走してよくわかんないペンネームでよくわかんない短編を公募に出したこともありました。もちろん普通に落選した。
もうどこに向かえばいいのかわからんし、なにを書けばモノになるのかもわからない。わかっているのは、「小説を書き続けたい」ことだけ。
ずっと「そこそこ持っている」と思っていたけど、私、「持っていない者」だったわ。それが気持ちよく腑に落ちたのは本当に最近のことです。
やっと、過剰でも不足でもなく自分の力(能力とか才能とか実力とか運とか全部ひっくるめて)を認めてあげられた気がして、いままでやってきたこと(恥ずかしいから全部隠して再出発しようと思っていた。実はnote登録もその第一歩)もこれからやることも、もう全部私、私以外私じゃないの、って感じが通常運転になってきました。
そうと決まったら行動が早いB型の私らしく、最近読んだ井上新八さんの「続ける思考」の影響を受けてnoteを週一更新してみようとか(とにかく続けることが大事。意味は考えない)、プロフィール作り直そうとか、応募できそうなコンテスト探そうとか、ドラマ視聴再開してストーリー展開や構成を勉強しようとか、いろんな思いつきが溢れてきました。
ただ、流行りを間に受けて書きたくないもの書くのだけは死んでもしたくないから(できないから)そこは譲らずにやっていこうっていう意思はダイヤモンドよりも固い。
私はコンテストで受賞してデビューしたわけではなく「運良く」拾い上げていただき商業デビューのチャンスをいただいた書き手なので、コンテストに苦手意識というか恐怖感があったのですが、暗黒期にいくつか出して全部落選したおかげで耐性がつきました。
出産を二週間後に控えた今もコンテストに応募すべく、とある作品を全編シナリオに書き換える作業をしています(完全ノーマークのコンテストだったんですが公募ガイドで知って気になって、あの作品なら割と合うかも!ってやる気になっちゃった)。
Webのコンテストっていい意味で敷居低いし、こんな感じで応募しとけばよかったんだよな〜今までも、ってちょっと悔やんでいます。
なんか自意識過剰すぎてサイトとかジャンルとか自分で自分を縛ってたんですけど、どんどん越境して、やりたいと思うこと片っ端から全部やりたいです。そもそも、みんなそんなに私のことなんて気にしてない。笑
その傍らで新作の設定作り進めたり本読んだりドラマ観たり、夕方になったら「お母さん」に戻ったりと(3歳児男子の中には天使と悪魔が同居している)バタバタしているのですが、この忙しさは紛れもなく好きなやつです。
うなぎのぼらなくたっていい。自分で一段一段踏みしめて、時折立ち止まって、それでも確実に上っていくことを忘れなければ、それでいい。
持っていない者には持っていない者なりの立ち向かい方があるんよなあと、充実を携えながら思っている今日このごろです。