令和5年四月公演 国立文楽劇場「曾根崎心中(そねざきしんじゅう) 」2023年4月20日
「曾根崎心中」。文楽の代表作ともいうべき演目ですが、なんと6年間も文楽を見てきて、初めて鑑賞しました。過去のパンフレットを見ると、一度、国立劇場で公演があったようですが、それを逃してしまったので、大阪まで遠征して観ることができました。
曾根崎心中は、角田光代さんの小説は読んだことがありましたので、あらすじは知っていて、他の心中モノに比べて話が平板だなぁとか思っていましたが。
ここ半年ほど、近松門左衛門の心中モノにハマっていて、現代語訳を繰り返し読み漁り。「曾根崎心中」も、浄瑠璃の現代語訳を読んで、文章としての美しさと情感にすっかり魅せられました。何度読み返したことか・・・。文章から匂い立つ情景が鮮烈なんですね・・。美文から映画のように情景が浮かんでくる。まさに、名作と言われるゆえん。
これはストーリーを楽しむものではなく、文章を味わうものだな、と。純文学の短編小説を読むのと似た印象を持ってました。
そんな風に現代語訳を狂ったように読み返していたので、人形浄瑠璃というパフォーマンスアートとして見るのがとても新鮮。
太夫・三味線・人形の「三業」によって膨らむ世界に、あらためて魅せられました。
特に、道行の段。心中に至るまでに、激情と無常が交互にやってくる。太夫が描く嘆きと葛藤が収まると、三味線が、淡々と、しんしんと、時の流れを描く。小説として読んでいると存在しえない、無常を存分に味わえる時間があるのです。
古典芸能って、この静寂と無常が良いのですよね・・・。まさにそれを味わいました。
お目当ての、桐竹勘十郎師のお初。舞台を制圧する存在感はさすが。観音巡りの段にて、「観音様は恋や情を通じて悟りに導いてくださる」と書いてあるのを思い出しました。自分との恋ゆえに転落する男と一緒に死ぬ。お初の思いを観音様の慈悲に重ねつつ見ておりましたので、神々しさも感じてしまいました。一方で、徳兵衛が軒下でお初の打掛の陰にかくれるシーン。心中の決意を言葉で取り交わさず、お互いにしかわからない形で通じ合うのが見せ場です。一緒に死ぬという決意が通じた瞬間のお初の表情。究極の愛が成就した瞬間、恍惚とした表情のように見えました。
吉田玉助さんの徳兵衛。道行の段にて、心中場所にたどり着き、遠くを見る徳兵衛の姿は、憑き物が落ちたような爽やかさ。遠くを見つめる姿が、あたかも来世を見ているような。うっすらと希望が垣間見えた気がしました。
とはいえ、人形の表情は瞼を閉じる以外は変わらないので、物理的に変わらない表情から感情を読み取ってしまうのは、見ている側のフィルターがあるからこそ。浄瑠璃と三味線に浸りながら、自分の琴線がどのように共鳴するのかを味わう。これが文楽の面白さなのだと思います。
家族や社会のしきたりに雁字搦めになっている当時の人々は、来世で救われることに希望を託し、観音様を信仰したとか。「曽根崎心中」は、単に心中の悲劇ではなく、救済というカタルシスを表している。この演目が当時大ヒットしたのは、そうした背景もあったのではないでしょうか。
9月の国立劇場さよなら公演でも「曾根崎心中」がかかるそうです。この機会に文楽を初体験する方が増えてほしいと思います。