向き合う事、理解されることについて
今日はカウンセリングの日だった。
されて嫌だったこと、モヤモヤしたことをワーっと吐き出す場ではあるのはわかっている。
わかっているけれど、その後に来るのはいつも虚無感なんだわ。
自分の感情なのか、ほかの人格の感情なのか、自分が嫌がっているのか、自分は解離しているのか、ぐるぐるぐるぐる頭が回る。
自分は本当に解離しているのか?
リリィと私は違う人間(人格)という自認はある。あるだけだ。もしかしたら他の人から見たら「いや、同じだよ、変わんねえよ」って言われるのかもしれない。
嫌な事、昔の事を思い出すこと。母親が死んだ事。
なんだかんだ、この身体の愛着は母親を基に構成されている。中心核が無くなったらこの身体の精神はあっさりと折れた。あっさりと折れて、割れて、戻らなくなった。
ガキの頃にはもう割れてたけど、ボロボロになったのはやっぱり母親のことがきっかけだと思う。
されて嫌だった事。無視されたこと。面前で兄や姉が殴られたり首を絞められたりしたのを見た事。子どもの頃から、発言や態度を揶揄された事。それを、許せ、流せ、昔の事だろとまるで私が、私達が悪いかのように言われること。
ミナが言ってた。
「お仕事するナナの姿は、あたしは好きだなと思うけど、でもナナがこ難しい顔して会社行ってるのはあたしたまになんか、仕事させてるだけって言う風に見える」。Twitterのスペースでひとりでぼやいてたみたいだった。
特にやりたいことも、目標も、何も無い。
ミナの言う通り「仕事をしているだけ」の人格。で、家族が求める理想の娘、妹を演じるだけの人格なのかもしれない。
解離性同一性障害に理解をすると姉は言ったけど、「誰が出ても分からないから名乗らなくていいよ」と言われた。それは理解と言えんの?
「私が嫌いな人格さんがいるなら、そんなに関わらないから言って」って、それは理解なの?
[追記]
まぁこんなこと書いてる私自身も自傷したりする人格のことを理解していなかったんだなと思った。
対話が出来たら対話したい。メモでもなんでも。
まぁそれはそれとして、1人になりたい。
人格を統合したいとかじゃなくて物理的に1人になりたい、立ち止まって休んで、立ち直りたい。
消えてえなあ。死にてえな。
日々それを抱えながら、隠しながら、中にいる誰かに押し付けながら生きていくしかねえのかな。
ならもういっそ身体ごと居なくなりてえな。
そうしたら私達の生きづらさは「理解」されるのか?
やっぱ私、文才ねえな。乱文過ぎ。これで薬飲んでない状態。なにごと?
明日も会社行きたくねえなあ、以上ナナでした、続くゥ(今好きなYouTuberさんの定型文、めちゃいいからおすすめ)(消えたい割には続くのめっちゃ矛盾 草)
凪來