パンツと水着の境界線 ―アラサー女子の本音―
先日の飲み会で、前に座っていた男性から「下着、見えてるよ」と指摘された瞬間、私の心臓が止まった。確かにその日はちょっと気合を入れて、いつもより少し短めのスカートを履いていた。痩せて自信がついていた矢先の出来事。その場は軽く笑って流したものの、帰り道で考え込んでしまった。
「なぜパンツは恥ずかしいのに、水着なら平気なんだろう?」
振り返れば、下着にまつわる思い出は山ほどある。高校時代、消しゴムを拾おうとして起きた瞬間の「パンツ見えてる」という囁き。今でこそ笑い話だけど、当時は教室に居られなくなるほどの衝撃だった。
一方で、この夏のリゾートプールで着た水着のこと。30代になって、むしろ若い頃より自信を持って着こなせるようになった。二の腕が気になるとか、お腹周りが気になるとか、相変わらずコンプレックスはあるけれど、「これが今の私」って受け入れられる余裕が出てきた。
高校時代、初めてビキニを着た時の写真を見返すと、今では愛おしくなる。あの頃は自分の体型にコンプレックスしかなかったのに、写真の中の私は意外とキュートだ。今思えば、何であんなに悩んでたんだろう。
きっと、パンツと水着の違いは「見られることへの覚悟」なのかもしれない。水着は「見せる準備」ができている状態。だから化粧も入念にするし、ボディケアだって怠らない。でも、パンツが見えるのは常に「不意打ち」。そこに最大の恥ずかしさがある。
アラサーになった今、やっと分かってきたことがある。20代の頃は「見られる」ことにただ必死だった。でも今は、TPOに合わせて自分をコントロールできる。ビジネスではきちんと、プライベートは思い切り楽しむ。その切り替えこそが、大人の女性の余裕なのかもしれない。
それでも、パンツが見えるのは絶対に避けたい。それは30代としての品格の問題。先日の飲み会での出来事は、そんな当たり前のことを改めて気付かせてくれた。
同世代の女性たちも、きっと同じような経験があるはず。Instagramのスタイリスたちのような完璧なコーディネートに憧れつつも、現実の自分とのギャップに戸惑ったり。でも、そんな悩みも含めて「アラサーあるある」って笑い飛ばせる。それも、30代の魅力なのかもしれない。
人前で見せる自分、隠しておきたい自分。その境界線は、年齢を重ねるごとに少しずつクリアになってきた。完璧を目指すのではなく、等身大の自分を受け入れられる。それが、アラサー世代の余裕なのかもしれない。