「異界の歩き方」で次なる旅へ
ご近所の本屋さんへ行ったら、「異界の歩き方」と「バトラー入門」があったので、つい、買ってしまった。「どっちの本も置いてある」というのが、憎いなぁと思いながら。
「異界の歩き方」は精神症状へのアプローチについてを入り口に、臨床心理学者である和多里氏と社会思想史の研究者である真保呂氏とがコラボして、「あたりまえ」ではない世界へどう旅するか、というガイドブックになっている。
この本をきっかけに、ファビエンヌ・ブルジェール著「ケアの倫理 ネオリベラリズムへの反論」を読んだ。「ケア」という用語がこのごろ、目につくなぁと思いながら、今ひとつ、その魅力が理解できずにいたのだが、この本を手に取って、「道徳ではなく倫理、という視点か!」と納得した。
フェミニズムはとても苦手なジャンルだったけれど、女性に限らず「弱い」とされる立場への、視線のありようについてなのだと、とても腑に落ちた。これはグリーフ・サポートにも近しいし、ジョディス・バトラーの引用もあって、方向的に合ってるっぽい。
「異界の歩き方」は異界の入り口へいざなうさまが、むっちゃエモい。p237にある「目をつぶって、こう強く想像してください。あなたたちの何世代も前のご先祖たちは〜」で始まる部分。うわぁ、これはジョアンナ・メイシーのワークっぽいじゃないか! と。ケアの視野を自然環境にまで拡げてあるのが、本当に嬉しい。
なるほど、「ケア」の概念を使えばグリーフから環境への配慮まで一気に見通すことができるのだ! 遺伝子操作で食糧危機にアプローチできるのではないかと入った農芸化学の世界から、不登校のテーマに移行してカウンセラーになった私としては、周りから見たら一貫性に欠ける自分のたどってきた道筋が、肯定されたような気分になるほど。いやぁ、嬉しい。
もうお一人、ブルーノ・ラトゥールという人も初めて知った。Ⅲ部の「精神のエコロジー」のところは、拡張的な自己としての地球へのケアという文脈で、ラトゥールが登場する。ジョアンナ・メイシーがオーセンティックな哲学や環境学の場に引用されないのが、とても残念なのだが、もしかしてラトゥールを理解するとちょっとアカデミックな感じになれるのか? と期待しつつ図書館で何冊か借りたが、歯がたたず。そうこうするうちに返却期限が迫り、諦め気分。
そんな気分をフェイスブックに投稿したら、大阪の先生が「よかったら、これなど、どうですか?」と資料を送ってくださった。ラトゥールのことをご存知なんですね! というだけでも嬉しかったが、資料を送ってくださるなんて! 大感激だった。有難いなぁ。
実はそれでもまだ、全然、わからないのだが。でも、老人といわれる年齢になってから、「おお!これをもっと知りたい」と思えるものがあるなんて、ラッキーだわぁと思いながら、トランクいっぱいに日本語の本を詰め込んで、ハワイへの帰宅の途についたのでした。