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悲嘆可能性

「異界の歩き方」と共に「バトラー入門」も買ってしまった。こちらは、國分先生に「今、注目すべき女性の哲学者はだれですか?」とうかがったら、「ジョディス・バトラー」と即答があったからだ。そういえば、千葉雅也著「現代思想入門」のはじめのところにもお名前が出てたけど、よくわかってなかった。YouTubeなども逍遥して、「ジェンダー・トラブル」が死ぬほど難解らしいということだけはわかった。一方で、バトラーはどうも「ケアの倫理」、「もうひとつの声で」の延長線上にあるものらしいことも把握した。

三鷹をうろうろしていたら、すてきな本屋さんを見つけ、そこでジュディス・バトラーの「この世界はどんな世界か?」を見つけた。カフェスペースでラテを飲みながらパラパラ見ると「悲嘆可能性」という言葉に出会った。
「悲嘆可能性!」

この10年、私はグリーフ・サポートに携わっている。
「悲しみ」を悲しみとすることができない、という状態についてはなじみがある。あるいはそれを「悲しみ」として感じたり、表現したりすることをとまどってしまうというような状態。さらには周りから「悲しんで当然」だとは認めてもらえないような喪失。悲嘆不可能な状態に置かれることと、自己否定的になることとはイコールだ。
(本の文脈でいくと、悲嘆に値しない対象とみなされること的な意味合いで語られているが、ここのつながりは後で、ゆっくり考える)

本には国全体など地域での喪失への悲嘆についても。本当は「非暴力の力」を読んだ方がよさそうだが。まずは、とりあえず、連想したことをメモ的に。1995年の神戸はこの状態だった。2011年の東日本はまさしくメランコリーだったと思う。とてつもなく多くの大きな悲嘆とともに、さまざまな、悲嘆として認められない事ごとが沢山、思いがけないところにあったまま、今につながっている。もしかすると2011年以来、いや、太平洋戦争以来、ずっと、どこかで鳴っている音なのかもしれない。メランコリーが症状として挙げられていて、いまどきの生き方がどちらかというと内向きで、省エネモードなのはそのせいかもしれない。

ハワイにいるときにもこの音が足元からのぼってくる。ネイティブ・ハワイアンの人々は米国に侵略され、音楽と言葉を取り上げられた歴史があり、ローカル・ジャパニーズは真珠湾攻撃を機に敵国人認定され、強制収容キャンプに収容された歴史を持つ。当時の日系移民やその子どもたちが、アメリカ人としてのアイデンティティを持っていることを示すために担ったご苦労を聞くと、みぞおちのあたりがきゅっとなる。それを感じ取ってしまうせいか、ワイキキで「いぇ〜い」という気分にはなれない。ホームレスの方も多いし、軍事施設で働いている人々もとても多い街だ。

ジョアンナ・メイシーの「つながりを取り戻すワーク(絶望のワーク)」には、許されていなかった悲嘆を存分に味わい、表現するセッティングが用意されている。このワークのパワフルさと頭木弘樹著「希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話」に触発されて、このところ「絶望探究家」と名乗っている。茶化しているわけではないのだけれど、「偶然愛好家」という肩書きと共に、思い浮かんだ。いろんな人に「絶望」についてきいている。

「絶望を聴くには胆力が必要ですよ。お身体に気をつけて」という友人の言葉をお守りに、しばらく、悲嘆の淵にただずみながら、証人としてそこに居ようと思う。

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