お寺で瞑想セッションしました
どうでもいいことかもしれないけれど、noteを開いたら「こんにちは、午後もがんばりましょう」って出てきて、「いや、これ言われたくないなぁ」って思った。がんばれって言うことの暴力性を知ってるカウンセラーという職業病のせいもあるんだけど、使わないことにしていた「うっせーわ」という悪態が心の中でわき起こり、「なんてピッタリなんだろう」と感じてしまう。いや、この言葉は使いたくないのになぁ。
「あなたが思うよりがんばってます」とも言いたくなる。そして、「いや、まだがんばれてないかもしれない」ソコココが気になりだす。「そんなことを思い始めるトリガーになる挨拶を、なんでするんだ、わかってるのに」とまで思い始める。そして、たかが自動で現れる文字に心乱される自分にもう一度、「やれやれ」と思ったりする。「不用意に声をかけるでない!」 とも(おお怖)。
この一連のことが多分1秒ぐらいの中で駆け巡り、それで、昔、言われて嫌だった言葉を思い出し、さらに言われて嫌だったことシリーズが展開されたりする。で、もう一度、ブレーキをかける。
言語化が身を助けるカウンセラーなので必要以上に追ってしまうのだが、まあ、「声をかける」というのはなかなか、大変なことだ。「大丈夫ですか?」「気にすることないですよ」「早く元気になってください」的な声かけへの反応が興味深くて、ときどき「なんもしない人」のツイートを熟読している。
そうそう、書こうと思ったのは瞑想のことでしたね。お寺で「瞑想の時間が欲しいんだけど」ってつぶやいたら友人のLenさんが「ティクナットハンの瞑想だったらできるよ」と言ってくれて、この間の火曜日に第1回目セッション、やってみた。朝のお寺、なかなかよかった。毎週、火曜日の7時45分から続けてみることにしました。お寺にぴったり。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?