cafe
cafeの写真やイラストを探したけれど、自分の写真が使いたくなって、ゴソゴソ。どうも今年の2月以来、カフェに行っていないようだ。
カフェで文章を書いたり、本を読んだりするのが無上の喜びだったのだが、ある人から「Facebookでcafeの投稿を見るたびに、あら、また無駄遣いしているって思うのよ。心配になる」と言われて以来、無心に楽しめなくなってしまった。罪悪感と一緒にコーヒーを飲んだところで、何の気分転換にもならない。自分を晒すということは、思わぬ批判を浴びるということでもある。楽しい気分に水をかける人がいるということをSNSでつながる子どもたちは早くから学ぶのだろうなぁ。
いや、もしかするとこっちの人は相手がどう思うかとは関係なく、自分がどう思うかをズケズケ言うのがデフォルトなのだから、上手にスルーする方法や「あなたはそう思うのかもしれないけど、私は好き」と切り離す技を身につけているのかもしれない。日本で50年以上暮らした身としては「わざわざそれを言うのだから、何か意図があるはずだ。なぜ、批判をするのだろう」のようにもう一歩勘ぐったりして、無用に拗らせたりする。
そうそう、それで思ったことがカウンセリングで no judgement が強調される点について。こっちで思うのは、人々がすごいjudgementalだなぁということ。多分、学校でcritical thinkingを教えたり、何か意見を言うことこそ大事なこととされてずっと育つからではないかと思うのだけれど、テーマについてどう思うか、どう考えているかを意識化、言語化することが要求される。それはつまり、常にjudgeすると言う態度が良しとされるということでもある。「まあ、いいんじゃない」って感じではないような。
それほどデフォルトなので、わざわざno judgementを強調する必要性があるんじゃないかなぁと思う。まあ、日本での研修で考えるとしたら、意識に上らないjudgememtに気づくこと、を強調することになるのかな。
ところで、こんなにズッポリ刺さってしまうということは、自分の中にも「これはちょっと無駄遣いかなぁ」という思いがあったからに違いない。ハワイでお茶&スイーツをするとなるとランチが食べられるぐらいの値段になってしまうのも確かなのだ。日本のリーズナブルなカフェと同じに考えてはいけない。
一度、知ってしまうと、いくら消そうと思ってもその影響を受けてしまうというものがあるものだ。
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