キャリア迷走記#1 キャリア迷子の入口 〜先が見えなくなった第1子育休復帰後〜
こんにちは!働く母nanaです。
今回は、私のキャリアの変遷について書きたいと思います。
私は、金融機関ならではの古き良き昭和の組織で、前例のない女性総合職として経験を積んできました。
「男性=総合職、女性=一般職」であった自組織にとって、女性総合職はどちらでもないマイノリティな存在。
私の入社当時は、これまで女性が担っていた庶務・雑務的な業務を女性総合職である私にもやらせるのか?ということで、上司たちがよく話し合っていたのを覚えています。
たとえば、来客へのお茶出しをさせるのかとか、給仕場の掃除をさせるのかとか。
「与えられた仕事は何でもやります!派」の私は、指示されたことは疑問も持たず、何でもやりました。
年次を重ねるにつれ、それらに加え、難易度の高い総合職の仕事もだんだん任されるようになっていきます。
任されることが増え、仕事が楽しくなってきた20代半ば、結婚→第1子出産、とライフステージが変化していきました。
さて、次は「働きながら子育てをする女性」として頑張るぞ!と育休復帰に対して意気込んでいたとき、同時にキャリア迷子の入口に立っていました。
第1子育休明けで前例のない異動
育休明けで配属されたのは、組織のトップから選ばれし男性総合職しかいなかった花形部署。
つまり、私はその花形部署で、女性総合職第一号&ワーママ第一号であった。
「なぜこのタイミングなのか?」
という疑問は、当時、私だけでなく、周囲の同僚も同じように思っていたらしい。
おそらく組織としても「女性活躍推進」の一環として、ロールモデルを生み出すべく、私で試してみたかったのだろう。
古き良き昭和の組織で、前例のない予期せぬキャリアが始まったのだ。
一生懸命駆け抜けた3年間
「与えられた仕事は何でもやります!派」の私は、指示されたことは疑問も持たず、この部署でも何でもやった。
花形部署での仕事は、週の半分以上が外勤であった。
自分のそれまでの経験を活かすことができたし、顧客からも直接、感謝の声をいただけるのでやりがいがあった。
一方で、時短勤務を選択していたが、そんなのは顧客の前では関係なかった。早朝や夕方に取引先での会議や研修があれば、子どもの送迎を誰かにお願いしないといけない。
また、業務企画のために考え事をしたり、会議・研修のためにPCの前で資料作成したりする時間は、外勤が多いせいで勤務時間中に取るのが難しかった。
いつやっていたか?というと、
朝、子どもが起きる前か、夜、子どもが寝たあと。
もともとロングスリーパーなのに、睡眠時間を削られていることで体力・気力は回復せず、むしろ疲れが溜まる一方だった。
それでも仕事は片付かず、気づいたら時短勤務なのに残業しているというおかしな状態になっていた。
他部署の同期や後輩(女性)からは「時短で帰れてる?!大丈夫?」という心配の声をもらっていたが、同じ部署の同僚(男性)には気にかけてもらえなかった。
残業してる男性>時短の女性という評価
結局、その花形部署には第2子を妊娠するまでの3年間在籍していた。
特に在籍2年目からは、他の男性が手を挙げなかったことにも積極的に手を挙げ、新規プロジェクトの企画・運営をメインで行ったりもした。
取引先の女性担当者からも「今まで男性担当しかいなかったけど、nanaさんが担当になってくれて話しやすい」とも言ってもらえていた。
女性ならではの視点やコミュニケーションを活かし、業務上の成果を出せた自信があった。
それに加え、この組織では今までなかった女性総合職としてのキャリアを確立できた自覚があった。
しかし、評価はいつも並(B)であった。
一方、私の隣で同じような仕事をしつつ、毎日残業している男性総合職の評価のほうが良いという現状。
自分のことなのにわからない
私は、何のためにこの仕事をしているのか?
私は、何のために働いているのか?
私は、何を求めているのか?
私は、どうなりたいのか?
自分のことを省みることなく、仕事と育児との両立で慌ただしく過ぎ去った3年間で、自分のことがわからなくなってしまった。
そのまま第2子育休に突入するのであった…。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この続きもよければお付き合いください。
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