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アウトプットが大事ってハナシ。
せっかく生きてるなら なにも おこらない よりは
なにか おこしたほう が いい よな
人間も動物も、日々無意識下で情報のインプットと処理、言動のアウトプットを繰り返している。
生命維持に最低限必要な事柄でさえ、ディテールに注目すると五感で得られる情報や1つの作業でも工程に溢れていることに気づく。
例えば食事。
自分で作る場合、まず食べたいものを考える。
もしくは自宅にある食材や調味料を確認し、作れるものを捻り出す。
これまで生きてきた経験からインプットした料理の情報を脳の引き出し、数あるレパートリーの中から引っ張り出してくる。
引き出しが開かない場合や引き出しにないものをインプットするためにネット等の情報ツールを利用するという選択肢もある。
仮に親子丼を作るとして手順を書き出してみる。
関係ないが、私は鶏肉のことが好きだ。
玉ねぎの皮を剥き、ちょうどいい量を切る
鶏肉をちょうどいい大きさに切る
だしをちょうどいい濃さで作る
玉ねぎ→鶏肉の順に煮る
卵を器に割り、混ぜる
・・・長くなりそうなのでやめた。
ただ、作るまでの思考過程と工程を簡単に示すだけでも膨大な情報、作業が含まれていることに改めて気づかされる。
毎日流れる時間の中で脳は膨大な情報を処理している。
自分で食べるものを自分にとって【ちょうどいい】状態にもっていくにはさらに経験数、時間が必要となる。
情報が自分の脳の引き出しにインプットされることで生活や仕事を【ちょうどいい】や【よりよい】状態に変化させる準備が整うわけである。
ただし、良い変化を起こすためにはインプットするだけでなく、何かしらでアウトプットを起こしていかないと
しかし なにも おこらない
いわば跳ねるコイキング状態と化してしまう。
せっかく生きてるなら なにも おこらない よりは
なにか おこしたほう が いい よな
とはなる。
コイキングはかわいい。
そもそもこの記事を書き始めた最大の理由は私自身がアウトプットに苦手意識を持っているためである。
前述のように、ディテールに注目しながら、あまりに当たり前のことを書き出す作業を行っている。
しかし、普段生活に没頭していると当たり前でないことも当たり前に流れていき、やがて自分の中からこぼれ落ちてしまう。
小さな幸せを溢さないように、生きている理由、死ねない理由を映し出していく。
どんなに小さな出来事、情報、作業、トラブルでも時間のある限り嚙み砕いて、アウトプットしていきたい所存です。
ひとまず、なにかおこそうということで始めてみたnote。
今日から思いのままにアウトプットするぞ~~~
【追記】
最近取り入れた生成AIの機能で記事の脳画像を作ってみた。
モノクロだとかわいいね。