「わたしね、 迷いたいの。」
「わたしね、
知らないとこ行って迷うの。
迷いたいの。」
幼い頃、よく言ってた言葉だ。
なぜか迷いたい子だった。
たぶんきっと
耳をすませばの影響なのだろうけれど。
猫追いかけてたら
知らない道にいって
真っ直ぐ道を辿ったら
ひらけたところにでて
全然知らない街がそこにはある。
全てが新しくて全てに興味津々で。
きっとわたし全然知らないところに行ってみたかったんだ。
迷いたくて
友達と一緒に自転車に乗ったりしてたけど
迷うほどの距離をいけるほど体力はないし
いけたとしてもそこまでの勇気はなかったと思う。
せいぜい友達の家の近くに森があって
神社みたいなのがあった気がする
そこ、ちょっと暗くて近づきたくないなと思ってたんだけど
友達と一緒に行ってみた
くらいの勇気が当時のわたしの精一杯の冒険だ。
「今日もね。
迷えなかった。」
そう母に言ってた。
でも、
迷いたい。迷いたい。
そうことばで言ってただけ。
行動はできていない。
いつだって口だけ。
知らない街を見たかった。
いまじゃ知らない街行く時には
電車の乗り換えアプリ使って
最寄りの駅まで何も考えず行くし、
目的地までも位置情報サービスを使って
迷わずに向かう。
知らない道できょろきょろなんかしたら
田舎者みたいで恥ずかしい。
そんな気持ちがないとも言えない。
だから、
携帯の地図みてるの分からないように
携帯の画面は自分だけに見えるように持つし
コンビニを通ったら右とか目印きめて
あまり見ないようにする。
つまんない大人になってしまったかな。
「迷いたいの。」
当時あれほどまでに願っていたが、
今のわたしは道ではなく、
人生という、とてつもなく大きなものに
迷っている。
ここにきて、迷いたいという願いはなんだか叶っているように思える。
この先にどこかひらけたところがあるだろうか。
あとどのくらい進めば閑静な住宅街が広がるだろうか。
どきどきわくわくしているだろうか。
なんだか自分だけのとっておきの場所を見つけたように思えてるだろうか。
知らないところに行きたかったんじゃなくて、
迷子になって
誰かに探して欲しかったのか、、
心配されたかった?
なんていま思ったんだけど
迷子がいいなんてそんなの耳をすませばにあったっけ。
そんなこと小学生で思ってたら色んな意味で
心配されてしまうだろうな。
聖蹟桜ヶ丘。
耳をすませばの聖地みたいなので
行ってみようと思う。
「そこでね、
わたし、迷うの。」
奈々