br0wnkinak0のルーツ part 6-2 買うの正体
あなたが、決断する指標は価値ですか?値段ですか?
例えば、Aのカゴは形が歪なりんごが3つで500円で売っている。それに比べ、Bのカゴは立派なりんごが2つで300円で売っている。とします。
これだけで、判断するの?と、感じる方がいるかもしれない。私は、スタッフにいくつか尋ねて考える。
私は、Aのカゴを選びます。どうしてか?
仮にどちらのりんごも甘さが同じで、形だけが違うとしたらどうでしょうか?別にAとBについて悩む必要がない。つまり、私は買わない。
では、何が指標となり購入を決めたか。
私は、あたまの中で、てんびんを用意する。ひとつは、値段を置く。そして、片方には「情報」を錘として乗せていく。すなわち、値段が指標ではなく、答えと考えます。その為、何故その計算になるかを判断する材料を探し歩く。
など、何故立派なりんごと違うと言われるのかを探して、自分が欲しいと思う方にお金をかける。
私にとって、値段はあまり計画の中には入りません。安く済むなら、それに越したことはないですが、質が高い方が安心感を抱く。納得のいくものを追った先に見える目安がお金であり、ブランドを追った先に商品があるのではないからだ。
これが、私が無頓着に貪欲に自分のこだわりを比べ、どちらが幸せを感じるかを指標にしたお買い物である。お金はあくまで、目安としか考えない。
ハイブランドはいわば、ノンブランドとなる。
私は25歳です。ハイブランドものを家中探してみたが、5つもなかった。いつかは、興味が湧くのかと頭の隅に置いてきたが、まるっきりない。家族や友人に知見を広げるためにと、いただく機会がありつつも、未だにハイブランドのロゴが区別がつかない。
ハイブランドを持っている方を格好良いと感じては、自分には必要性を実感しない。と、あっさりしている自分がいる。
ハイブランドはある意味では高価なものだが、ひとの価値観によってはノンブランドにもなってしまう。高いからすごいのではなく、重要性に魅力を感じたから凄いのである。若いひとたちが、安易にハイブランドを身につける。いわゆる「ステータスが上がる」の感覚に私は理解ができない。
br0wnkinak0に生きる指標とは、何か?
ひとつは、お金に見合う対価。すべての方のこだわりに答えられない。だが、妥協点をつくる隙を与えないことはできる。
本来、ビーズアクセサリーはテグスを使い製作する。それに加え、器用なひとなら簡単にカタチをつくることができてしまう。しかし、ビーズの隙間がはまらなかったり、妙なテカリ具合が見えてしまっては、材料だけ良くても安っぽい印象を与えてしまう。それは、勿体ない。
また、払拭したい「ビーズアクセサリー」は壊れやすい。よくある作品という固定概念が邪魔をしてしまう。
値段は、あくまで未来の投資に期待する気持ちを表した答えである。だからこそ、価値は多く実らせてお客さまのこだわりに負けんとするアクセサリーを存在させておきたい。
私は〇〇です。とは、彼女たちは口にしない。言葉を発しない。声なき彼女たちは、第一印象と触覚といろの香水が、お客さまを魅了します。