自己紹介〜名前について〜
はじめまして。朝木 名々(あさき なな)と申します。
私が日々考えていること、生活の中で思ったことをまとめていくことになります。
別名義で小説を書いたりもしているのですが、ここでは朝木という名で自らの心と素直に向き合ってみようと思っております。
(もしかしたら小説も投稿するかもしれませんが……)
さて、副題にある「名前」について思うところがありましたので少しお話してみます。
船戸結愛(ゆあ)ちゃんという名前に聞き覚えはあるでしょうか。
2018年3月、両親の虐待によりわずか5歳でこの世を去ってしまった女の子の名前です。
「もうおねがいゆるして」
と結愛ちゃんによって書かれたノートが世間に与えた衝撃は大変大きなものだったと記憶しています。
私が読書に勤しんでいると結愛ちゃんの母の獄中手記の引用と出会い、結愛ちゃんが生まれたときの様子の一端を知ることができました。
そこには結愛ちゃんの名付けについてこう書かれていました。
「ふたりの愛が結ばれた」
瞬間、体が芯から冷えてゆきました。
子どもを「愛を証明する要素」として見ているのではないかと強く思ったからです。
あえて「ふたりが幸せである証拠品」と厳しく言い換えてみましょう。
両親にとって生まれた事実が重要であって、子どもがいる家庭=幸せという、きわめて抽象的なイメージの中で生きているような気がしてなりません。
少なくとも生まれたての彼女に対する愛情が感じられる名前ではないと思います。
この名付けをしたのは結愛ちゃんの実父であり、事件で逮捕された「父」とは異なる人物であるようです。
名前というのは自分を示すアイデンティティであり、基本的に一生同じものを使い続けるでしょう。
彼女という人間をあらわす名前に、自分たちの「幸せでありたい」という願いをこめたのです。
悪意こそないのでしょうが、だからこそ身勝手さが鮮明に浮きでていると言えそうです。
この実父は今もどこかで生きているかもしれません。
彼は結愛ちゃんを死に至らしめるようなことはしていませんが、あまりに残酷な、消えることのない刻印を刻んだのだと考えています。
ここまで長くなってしまいましたが、名前というものは名付け親自身が抱く願望を色濃く映しだすのです。
私のペンネームにはここまでテーマとしてきた「名」の字が入っています。
「名」という漢字は「夕(夕焼けの夕)=夜」と「口(くち)」によって成立しており、「夜の闇の中、声に出して自分の存在を告げる」という意味があります。
(夕をにくづきととらえる説もあるようですが、こちらの意味が気に入っています)
誰にも届かなくても、認められなくても、言葉にすることだけはやめたくない。
そういった思いでnoteを始めました。
明るい内容をお届けすることは多くないかと思いますが、感じたことをていねいに綴っていこうと思います。
改めまして朝木名々をどうぞよろしくお願いいたします。