THEFIRSTSLAMDUNKを観て息子が欲しくなった(2次創作的なやつ)
【リョータ、9歳】
ソータの乗る船が沈んだ日、捜索の船が手ぶらで戻ったのは夜中近かった。
夜が明けるまでずっと、私は夫に祈っていた。お願い。守って。夏だから、あの子はよく泳げるから、きっと助かる。捜索船がソータを見つけるまであの子を守って。お願い。アンナは泣き疲れて眠っていたけれど、リョータは部屋の隅で座っていた。ぶるぶる震えていたのを知っていた。でも声を掛ける余裕が無くて、必死で、祈ることに必死で、私はリョータを振り返らなかった。
ソータが居なくなってからしばらくの間のことを、私は覚えていない。記憶は途切れてぼんやりとしている。私がぼんやりしているあいだ、アンナとリョータは平の家のおばあが見てくれた。周りのみんなに助けられて、生かされて、私たちはもう一度やりなおしを始めた。夫が居なくなったときと同じように。でも、今度は誰も私の肩を抱いて「キャプテンになる」とは言わなかった。
それでいいのだ。
私がソータに弱さを見せてしまったから、ソータは夫の代わりにキャプテンになって家を支えようとした。そんなことを12歳の子供にさせてはいけなかった。おなじことをリョータにさせちゃいけない、そう思った。明るく振る舞わなければ、強くたくましく居なければ。でも、頭で思うことに心がついていかない。
リョータはミニバスを続けていて、ソータと同じ背番号を背負ってコートに立つ。リョータはソータに似ている。全然違うと言う人もいるけれど、やはり兄弟だ、あんなに一緒に居たのだ、ふとした表情や仕草や。そして同じ背番号で、同じコンバースを履いて。コートに居るリョータを見ると、ソータを思い出してしまう。
親の欲目を差し引いても、ソータは特別な子だった。学校でもミニバスでも、ソータには大人たちさえ一目置く。リョータにとっては、本土で働き滅多に帰らない夫より、ソータのほうが父親だったに違いない。ソータを喪ったことでリョータは扱いが難しい子供になっていった。
リョータの変化に寄り添ってやらなくては、頭ではそう思う。でも目のまえにリョータがいると心が頭についていかないことがある。何を考えているのか判らない。何かあれば黙り込む、家に居つかない。なぜ、と苛立ってしまう。
私が、悲しくないとでも思うの。頭を裏切って、心がそう叫んでしまう。ソータを喪った痛みを抱えているのは自分だけだとでも思うの?お母さんだって痛いんだよ。体が引き千切れるくらい、痛いんだよ。どうして判らないの?
あの夜の痛みが押し寄せてくる、電気を消すのが怖くて家じゅうの灯りを点けたまま仏壇に手を合わせ続けていたあの夜、震えながら私の後ろにいたリョータの小さな小さな姿。泣いていたのに。
なぜ。
苛立ちはリョータに向かうだけでなく自分にも向かっている。
なぜ、あのとき私はリョータを抱きしめなかったのか。
朝になると鮮やかな朝の光が家の中まで強く照らす。判っている。とても深く、とても強く、私たちがしなければならないことが判っている。まともに、普通に、生きて行くこと。どれほど苛立ったとしてもリョータのご飯は大盛にして、皿洗いなんかしなくていい。子供らしく我儘を言って欲しい。試合を観に行かなくても7番のユニフォームを洗濯し、きちんと皺を伸ばす。庭いっぱいに干された洗濯物、強い太陽の光がユニフォームを照らす、光と影のコントラストが強い。
この光を受けて生きなさい、ちゃんと胸を張りなさい、いいね、リョータ。いいね、アンナ、いいね、カオル。私はあの子たちの母親なんだから。きつくても、辛くても、平気なふりをする。
けれど今、心がすれ違ってしまった今、私はリョータに触れることを躊躇う。コートで転んだあの子を、私は駆け寄って抱きしめることが出来ない。頑張って走っていた試合を、褒めてやることが出来ない。抱きしめるならあの夜だった、遅すぎる、リョータは今更それを望んではいない、そう怖くなり、尻込みをする。そんな母親じゃだめだと判っているのに。
私はいつも尻込みをしてばかりだ。
【リョータ、12歳】
島の郵便局が人員を削減し、パートの仕事が無くなった。島で働き口を探すのはとても難しく、そして私は島を出たかった。
この家にはソータが居た。この島のあの海で、ソータは眠っている。
生前、夫は神奈川に住む親戚の会社を手伝っていた。夫が亡くなったのは仕事上の事故だったから親戚は私たちをとても気にかけてくれていて、相談するとすぐに神奈川で仕事の口を見つけてくれた。リョータは、、、何も言わなかった。ソータの部屋を片付けようとして喧嘩をして以来、リョータは私に自分の気持を言ったことが無い。
嫌だったに決まっている。
でも、私はリョータが何も言わないのをいいことに、どんどん引越しの話を進めてしまった。私は腹を立てていたのだ。理不尽で横暴な人生に。居なくなってしまった夫に。夫について行ってしまったソータに。私の手を払いのけるリョータに。島を出ることは人生への復讐だ、出し抜いてやる。クソったれ、出し抜いてやるからね。私は怒りの勢いに乗るようにして、島を出た。新しい土地へ。新しい人生へ。いままでの人生を出し抜くために。
湘南の海は、彩度の低い薄灰がかった青色をしている。
なんだか随分大人しい海だ。こんな海ならソータは勝てたかもしれない。ソータを呑み込んだあの海とこの静かな海がつながっているなんて、妙な気がする。海の向こうには島が見えることがあった。大島。東京にも島があるなんて、それも妙だと思う。そう言えば、アンナはソータがどこかの島で暮らしていると言っていた。もしかしたらあの島かもしれない。馬鹿馬鹿しい思いつきだったけれど、それから島が見えるたびそのことを考えた。アンナにもリョータにも、誰にも言わない。それくらい、考えてもいいだろう。ソータは生きていて、15歳になって、あの島にいる。でも15歳になったソータを思い浮かべることは出来なかった。あれから3年経ったのに、ソータは12歳のままだ。
3年経って、アンナはもう、ソータが島で暮らしているとは言わなくなっていた。リョータは転校してしばらく、バスケ部に入らなかった。もうやらないのかもしれないと思っていたが、夏休みが明けるとバスケ部に入部した。アンナが理由を聞いて、リョータが1on1でやっつけたい相手がいるんだよ、と面倒くさそうに答えた。今ではリョータと直接話をすることも殆ど無い。アンナはのんきなようで敏い子だから、私とリョータのあいだで通訳のような役回りをしてくれる。それも、とても普通に明るく。ときどき私はまた、子供に無理をさせていると思う。そう思うと居た堪れない気持ちになる。ちっとも出し抜けてなんかいない。新しい人生は理不尽な人生の続きだ。それでも私たちは生きて行かなくてはならない。普通に、明るく、まともに。でなければ私たちは負けてしまう。このクソったれで理不尽で横暴な人生に。
負けるもんか。クソったれの人生なんかに。ただ、負けたくなかった。
【リョータ、16歳】
リョータの事故の連絡が来たのは夕方だった。
目のまえが真っ暗になり受話器を持ったまま膝をついた。あの子は無事ですか、声がまともに出なくて相手はえ?え?と聞きかえしてきた。命に別状はありません、その声を聞いてようやくアンナが背中を支えてくれていることに気づいた。
ベッドのうえで、リョータは包帯をぐるぐるまかれ、首にはギブスをはめられて目を閉じていた。また血の気が引いて、座り込みそうになった。看護師が私を抱えるようにして椅子に座らせてくれて、大丈夫ですよ、と言った。医師がその言葉を引き取って、ええ、運が良かったですよ。後遺症も残らないでしょう。そう言った。
アンナが居なかったらもっと取り乱していただろう。アンナの前だからしっかりしなくては。そう思えた。そう思えたけれど、心の中では大声で怒鳴っていた。あの人に。外せない指輪が嵌ったままの指をきつく握る。今度こそ守って!絶対、絶対に守ってよ!どれだけ平気と言われてもこの姿を見て冷静ではいられない。心臓が喉元にせり上がり吐きそうになるのを必死で抑えた。
やがて、目を覚ましたリョータは、「沖縄が見えたぜ」と掠れた声で笑った。
は?
なに?
一瞬混乱して呆然として、それから一気に頭に血が上った。
この、、、トンチキ野郎!!
何考えてるのあんた!!叫んで、もっと叫びそうになって、部屋を出た。人の気も知らないで、このトンチキが。馬鹿息子、すっとこどっこい、ふらぁふーじー。廊下に出ると、力が抜けて扉に寄りかかりそのまま座り込んでしまった。鼻の奥が痛い。いけない、泣いてはいけない。せめて中には聞こえないようにしなくては。震えている手を合わせて、なるべく深く呼吸して、そして天を見た。
…ありがとう。今度は守ってくれた。
【リョータ、17歳】
あれから8年が経った。生きていれば20歳。でも20歳のソータを思い浮かべることは出来ない。17歳のソータでさえ。リョータは17歳になった。リョータがソータに似ていると思ったことを思い出す。今はどうなんだろう。わからない。17歳のソータを想像できないから。
もし、ソータが居たら。
この、17歳の扱いづらいトンチキ息子と私を橋渡ししてくれるだろうか。ソータは大人びた子で、私が何も言わなくても察してくれた。リョータときたら、察するどころかいつもフテクサレタような顔をして。でも勤め先の人が言っていた、思春期の男の子なんて皆そうよ、うちだって目も合わせないわよ。思春期のトンチキ息子は、でもきっとソータには本音を言うだろう。相談したり、頼ったり、女親には言えないようなことを打ち明けて。
もし、ソータが居たら。リョータはきっと、もっと笑って、話をして。ソータとリョータがバスケの話をして、アンナがそれに絡んで(アンナはバスケを見るのは好きなくせに自分ではからきしやらない)、リョータはアンナを揶揄って、そして私は、、、
仕方ない。トンチキ息子は思春期なんだ。
言訳だとどこかで知っている。でも差し伸べた手は届かない。部屋へ行ったとき、リョータは私の顔を見もしなかった。弾まない声での、ありがとう。背中はもう子供の背中じゃなくて、どこかの見知らぬ誰かみたいだ。プレゼントは何がいい?試合がんばってね、その言葉は言いそびれて、でもそんな言葉をリョータが待っているとも思えなかった。
リョータが広島へ発った朝、少し時間をずらして台所へ行った。見送ったりしたら逆に気まずいんじゃないかと思ったし、リョータはそんなことは望んでいないと知っているから。
引き戸を開けるとテーブルのうえに手紙があった。
「母上様?」
少しだけふざけたようなその、宛名。リョータから手紙をもらったことなんか無い。何が書いてある?悪いこと?でも少しふざけてるよね?あの子が考えていることがまるで予測できない。混乱して、また少し血の気が引くような感覚を覚えて居た堪れなくなった。隠す必要なんか無いはずなのにアンナが起きないうちにどこかで、そう焦って玄関のドアを開け、気づいたら海岸まで来ていた。
今日は島が見える。夏に見えるのは珍しい。朝早いからかもしれない。
躊躇いながら、でも気が急いて、心臓をバクバクさせながら手紙を開く。リョータの字だ。へったくそ。でも私に書いてくれた字。読むうちに、どうしようもなく大きな塊がせり上がってきた。どうしたらいいか、わからん。涙が出ているけれどそれがどういう感情なのか判らなかった。夢を見ているみたいに、沖縄のあの家に居る自分とまだ小さかったあの子たちが見えた。私は泣いていて、本当はあの子たちを抱きしめてやらなければいけなかったのに、と思う。ごめん。ごめんね、リョータ。そのとき、リョータが、私の頭に手を置いた。そしてハグしてくれた。すっかり私の背中を覆う。もう子供じゃない。9歳のあの子じゃない。そう、リョータは17歳になったんだ。大きくなったね。もうすっかり大人だね。手紙に顔を突っ伏して、どれくらいそうしていたのか判らない。やがて波の音が聞こえた。
尻込みばっかしていてごめん、リョーちゃん。こんな意気地のないヘタレな私のそばで、リョーちゃんはなーんてカッコイイ大人になっちゃったんだろう。ソーちゃんに負けてないよ。もっとかもしれないよ。
参ったな、もう、もうさぁ、リョーちゃん、、、、ありがとう。
手紙をくれてありがとう、
生きていてくれてありがとう、
17歳になってくれてありがとう、
私の息子でいてくれてありがとう。
広島へ行く、とアンナに言ったら目を丸くして驚いていて、それから
「いいなぁ!」
と言って笑った。連れて行けと言われる覚悟をしていたのに、アンナは友達と遊ぶ約束してるから、と手をひらひら振った。うちの子たちはみんなどうしてこう良い子なんだろう。クソったれな人生は私にこれだけの贈り物をくれていた。なぜ今迄気付かなかったのか、こんなに私は幸せだったのに、駅まで走るようにしながらそればかり思った。
あの子はプレスを突破した。
汗がしぶきのように飛び、大きな強そうな二人のほんの少しの隙をつき、私の息子が走り出す。綺麗じゃない、むちゃくちゃ乱れたドリブルで、でも最高にかっこよかった。
見てる?天を仰いだ。ねぇ!そこからコート、見えるよね?あれリョーちゃんだよ、最高だよね!
次の試合は負けて、あの子は帰ってきた。海岸に来た理由が、少しだけ判る気がする。この灰青色の静かな海は、あの海につながっている。私がいつもここに来るように、あの子もきっとここに来ていた。
怖かった、と言うあの子の目がえらく男っぽくて、あー。出し抜かれた。そう思った。お母さん完敗だよリョーちゃん。あんたは、、、大きくなったねぇ。ハグしたい!そう思って近づいたけど、やはりそれは少し気恥ずかしかった。肘に触れてみる。体温を感じる。気持が昂ぶって、でもどうしていいか判らなくって、腕を取ったままゆさゆさと揺さぶってみた。わぁ。あんた重くなったねぇ!生きている、私の息子。大きくなったね。ずいぶんカッコよくなったね、リョーちゃん。
リストバンドを渡されて、反射的に海を見た。
島は見えなかった。でも、海は明るく陽の光を受けキラキラと光る。あの光の向こうに島がある。ソーちゃんと、あの人が暮らす幻の島が。潮の香りがした。深くそれを吸った。もう大丈夫。あの子と目が合った。大きくなった、私の息子。もう尻込みはしない。平気なふりも。わたしはわたしの息子の目を見て言う。
リョーちゃん。
おかえり。