ついに外の世界へ!!「鶴瓶」になりきり街散策
8月26日
まる3日(到着日を入れると4日)の完全隔離がおわり、26日からは自主管理期間に入る。
といっても、留学生は相変わらずホテルにステイしなければならないのだが、抗原検査で陰性が出さえすれば、ホテルにその結果を提出し、時間や目的を伝えて外出できる。
わたしはもちろん外出する気満々だった。一刻も早く外に出たかったので、26日は珍しく早起きして抗原検査キットとにらめっこして検査をすませ、ホテルから許可をもらうことに成功した。
別に東京の知り合いがいるわけでもないし、慣れないうちはあまり「観光客感」を出すのもよくないのでは、と思ったのでジャージ、眼鏡、スッピンというかなりひどい恰好で外に出ることにした。
4日ぶりに出たわけだが、まるでディズニー映画「ラプンツェル」の主人公、もしくは「アナと雪の女王」のアナが外に出たときと同じくらいのはしゃぎようだったと思う。
(ただ、ラプンツェルに関して、あの映画は信じがたい。わたしは3日で気が狂いそうになったのに、彼女が10何年間塔に閉じ込められたうえ、母親につべこべ指示を受けたり家事を押し付けられたりしていたのにあのように明るい性格なはずがない)
話を戻して、外に出られたのはこの上なく嬉しかったのだが、とにかく暑い。新北は、じりじりと照り付けるような太陽とほこりっぽい空気がむんむんと漂う街だった。
致死量のバイクに衝撃
そしてなにより驚いたのが、日本人からすれば尋常じゃないほどのバイクの量だ。もちろん空港からホテルに向かう途中のバスでバイクが行きかう様子をみてある程度覚悟していたのだが、実際自分の足で街に繰り出してみると想像以上だった。
どんなに細い道からでもバイクがいきなり飛び出してくるし、左から右から前から後ろから、という感じでひとときも気を緩められない。
さらにわたしのホテルの周りには歩行者用の道というものがほとんどなく、あったとしてもお構いなくバイクが乗り上げてくる。
日本と違って「歩行者優先」概念なんてまったくなく、スピードをゆるめることなく近づいてくるのでほんとうに危険である。
あまりにも往来が激しい&けっして歩行者のために一時停止しようなんて車両はないので、ちっとも通りを横切れず、リアルに5分ほど立ち往生していた。
すると、ひとりの台湾人が私をしり目に横切っていく。向こうから車両が近づいているのに別に気にしない、といったふうだ。ほぼ衝突ぎりぎりのところで通りを渡りきると、ゆうゆうと向こうに歩いていった。
なんだかヘンなところでひどく感心してしまった。そうか、これが台湾スタイルなのか。こう強くなきゃ、生きられないよなあ。と。
ただもちろん、それでも危険なことにはかわりないので、じゅうぶんに注意する必要がある。
鶴瓶の家族に乾杯(?)~台湾編~
そのあとブラブラ歩いていると、路上の小さなお店でおじさんが一人なにやらせっせと食べ物を並べたり、揚げたりしていた。
まだ来たばかりで、しかも隔離中ホテルでは日本人の友人や家族との電話以外ほとんど声を発さなかったので、話しかけていいものやらずいぶんためらった。
相手がなにか言ってもわからないかもしれないし…などとうだうだ考えて2度ほど店の前を通り過ぎたが、「鶴瓶の家族に乾杯」みたいなテンションでいけばいいじゃん、鶴瓶になりきろう、とよくわからないアイディア(迷案?)を思いつき、やっと決心して声をかけてみた。
「ニーハオ。你的推薦是甚麼?(おすすめのなに)」
すると案の定おじさんは看板を指さしながらベラベラなにか言ったが、なにを言っているのかよくわからない。ので、おじさんに言われるがままこれとこれと…といった感じで食材を選んでいった。
途中でこれ、おじさんの言うとおりにしてると高くつくぞ…と(当たり前)気づいたので、ついに「不用(いらないよ)」といった。
選んだ食材は4つほどで、サツマイモ、肉団子のようなもの、餅に餡が入ったもの、あとは海鮮のようなものだったが、忘れてしまった。
おじさんがその場で揚げてくれる。辛いのかける?といわれたので「ください」といったら、パウダーをふりかけてくれた。鶴瓶ならどうするかな(←??)と考え、とっさにおじさんに「あの、ここで食べていいですか?」と聞いた。
快くOKしてくれたので、せっせと揚げ物をするおじさんのうしろでできたてのサツマイモや肉団子をほおばった。
こんな小さく地味な店なのに、しかもかなり量が多いのに安くて信じられないくらい美味しい。これがどういう名前の料理なのか忘れてしまった。またすぐ食べられるものと思っていたが、あれ以来一度もお目にかかっていない。
おじさんに「写真撮っていい?」と聞いたら、「おじさんなんて撮っても写りよくないよ」と恥ずかしそうにして、こっちを向いてくれなかった。
何気ない出会いだったが、わたしが台湾に来て初めてちゃんと会話した台湾人。きっとこのおじさんのことは、ずっと忘れないと思う。
正直新北の雰囲気はごみごみしていてあまり好きではなかったが、あのお店にはいつかもう一度行ってみたいものだ。名前も場所も、あまり覚えてはいないのだけれど…
台南への足を確保
自主管理期間で印象的だったのはこの日くらいかもしれない。この日以外は天気も悪く、街の雰囲気があまり好きではなかったこともあって、遠出する気にならなかった。
台南の雰囲気が同じような感じだったら、なじめないかもしれない。少し不安になった。
自主管理日初日のような遠出はしなかったものの、毎日「get some fresh air」という謎の理由をつけて外出届を出し、コンビニに行ったりドリンク屋さんにいったりはした。
30日、隔離明けに自力で台南に行く必要があったので、セブンイレブンで高速バスのチケットを買った。新幹線と迷ったが、バスのほうが断然安く、学生のお財布にも優しい。
台湾ドル530、だから日本円にして2500円ほどで北から南まで縦断できるわけだ。時間としては4時間ほどかかってしまうが、時間は十分にあるので、問題はなかった。
当日は一番近くにあった板橋駅というところまでタクシーで行き、そこからバスに乗ることにした。
隔離も最初こそ暇で暇で、はやく終われ、という気持ちだったが、住めば都とはよくいったもので、ご飯も勝手に出てくるし部屋はきれいだし、だんだん適応してきてしまった。
外に出て、ほぼ中国語しか通じない環境に飛び出すのも不安だったし、南まで大荷物をもっていくのもめんどうだった。
隔離ホテルに適応してきたころになって、そろそろホテルを追い出される日がやってきた。
30日、明日はいよいよわたしが住むことになる、台南に向かう。
いったいどんな街なんだろうか。