【はむ家で出会った人々②】お茶目な陳さんと国立台湾歴史博物館めぐり!
9月2日
ここからは記録が文章として残っておらず、よって私の記憶と数枚の写真によって当時を振り返ることになる。まあたった1年前のことであるし、詳細なことは別として強烈に印象に残った出来事は思い出せる(と思う)。ここは22歳大学生のフレッシュな記憶力(?)に頼ってみようと思う。
(余談になるが、私が小学生の時から今に至るまで一番好きな本はローラ=インガルス=ワイルダー著の「大きな森の小さな家」シリーズである。彼女の幼少期~結婚するまでを描いた半エッセーのような作品だが、彼女の記述の詳細さといったら驚くべきものがある。とても大人になってから書いたとは思えない)
陳さんと国立台湾歴史博物館へ
前エピソードで紹介したエミリーが桃園へ帰った頃だろうか、「陳さん」という名の台湾人女性が民宿にやってきた。おそらく50後半~60代前半といったところだろうか、年齢的には私の母の若干上の世代だったと思う。
台湾人といっても、陳さんは長いこと日本に住んでいること、日本でガイドの仕事をしていることなどもあって日本語はペラペラ。日本人と話しているのとなんら変わりない。
息子さんは台湾で働いているので、今回台南に何日か滞在したら息子に会いに台北へ向かい、そしてそのまま日本に帰るとのことだった。
私が長期滞在していたドミトリールームには簡単な化粧台があるのみで、勉強机はないため、私は大抵はむ家の共用のリビングルームに降りて行ってそこで勉強していた。
その日ちょうどソファーで熱心にガイドブックに読みふけっていた陳さんに話しかけたところ、台湾政治の話や台湾の対日感情、その他世間話で大変盛り上がった。
このままお別れしてしまうのも寂しいし、私は9月12日の新学期まで特段やることもないので、その翌日陳さんにくっついて国立台湾歴史博物館に行くことにした。
行くまでに一苦労!交通地獄・台南の洗礼
当日、はむ家を10時頃出発。
陳さんは台湾人だから当然何もかも任せられるだろう…。そんな考えのもとで陳さんに従ってバス停まで行ったが、陳さんは「あら…?このバス停違ったかしら…??「あら…?次のバス、50分後ね…」と全く頼りなげな様子。
別の記事で書けたら書こうと思うが、台南はとにかく「交通地獄」なのである。バイクをもたない弱き歩行者にとって、遠方まで安く行く手段はバスくらいしかないが、このバスがまたややこしい。絶対に時間通りになんて来ないし、ひどいときはいきなり車内アナウンスで「今日は○○駅には止まらないよ~~」なんて言われたこともある。
この時は台南に来たばかりで、まだバスに1人で乗ったこともなかったので陳さんと一緒に途方に暮れるしかなかった。
陳さんは長年日本に住んでいるから台湾のバスに慣れていなくてもまあ仕方ない、とこの時は思ったのだが、案外台湾人でも乗り方がわからない人が多いのではないか、というのが私の体感だ。台北などはわからないが、台南では多くの人は(コンビニに行く時でさえ)バイクで移動するために、いざバスに乗るとなると観光よろしく戸惑っている人を何人も見た。
そんなこんなでその場での聞き込みもしながら、なんとか国立台湾歴史博物館にたどり着いた。観光の主要地区である中西区からもバスを乗り継いで1時間ほど。とにかくアクセスが悪かった。
今はどうだか知らないが、当時は周りにほかに観光地らしきものはなく、殺風景だった記憶がある。よっぽど歴史に興味があるとか、あるいは観光日数に余裕がある場合を除き、わざわざ行くほどでもないかも…(※個人の感想です)というのが正直なところだ。
バス停から少し歩いた入口近くには真っ黒いすべすべした皮膚をもった野良犬が5匹くらいうろついていて、別に凶暴な感じもしなかったが、台湾ではよっぽどの理由でもない限り野良犬に近づくべきではない。
立地は最悪・展示は最高
さて、国立台湾歴史博物館だが、その料金はHPによると
【通常料金100元、優待料金50元、一般団体料金90元、学生団体料金60元】
となっている(2023/11/18現在)。
先ほど立地が悪いとブツブツ文句を言ったが、中はかなり充実していて通常料金が約500円というのはずいぶんとお得な感じがした。
具体的な展示内容は詳細には覚えていないのだが、石器時代~現代にいたるまでの諸所の展示、ちょっとした体験コーナーが設けられていた。
個人的に面白かったのが、「台湾の歴史を振り返る列車(?)」と「日本統治時代の展示」である。前者はちょっとしたアトラクションとなっており、列車を模したスペースに案内されると「今からタイムスリップをします」といった内容のアナウンスが流れ、風景が動き出す。
そしてその風景や台湾の街並みが石器時代~日本統治時代~世界大戦へと徐々に移り変わっていき、最後には現代に戻ってくるというストーリーになっている。
その日は天気が悪かったこともあって他に客もおらず、陳さんと一緒に10分ほどのタイムスリップを楽しんだ。
後者については、日本が台湾を植民地統治していたころ日本語教育に使われていた教科書、日本語で書かれたプロパガンダ的なポスター、報道などの展示を見ることができる。
全体として、日本の植民統治の正の側面(インフラ整備、疫病対策)と負の側面(現地の人に対する抑圧など)がバランスよく伝わるようなつくりだとの印象を受けた。一概に植民地統治を「良」「悪」などと判断を下すべきでなく、台湾の人たちにも様々な意見があると思う。
ただ、こうした複雑な歴史的背景を踏まえると、よく言われる「台湾は親日である」という見方はあまりにも単純化されすぎているし、少なくとも日本側から簡単に言えたものではないと個人的には感じる。
陳さんはどう思っているのか、その複雑な表情からは読み取れなかった。ただ私は、今ここで私にこんなに親切にしてくれる彼女に感謝したいと思った。
【おまけ:個人的なツボ】
自分たちが新聞記事にIN?!ユニークな体験コーナー
そのまま陳さんと最後の体験スポットに向かう。旧式の自転車のような乗り物で写真を撮ると、自分たちの写真が当時の新聞に載っているような画像が作成され、その画像を無料でダウンロードできるという体験だ。
これがかなり良かったのと、個人的に面白かったのは陳さんが何度も写真を撮りなおしたことだ。「もっと可愛く映りたい!」「あら~~これちょっと事故っちゃったわね」といった感じで、なかなかOKが出なかった。
10テイクくらいしたかもしれない。高校生がプリクラを撮っている時のように生き生きしている陳さんを見て、何歳になっても女子は女子だよな~と、なんだか微笑ましく見てしまった。
台湾の方は世代を問わず写真が大好きで、熱心に自撮りをしているおばさま方世代をその後も幾度も見ることになる。私はこれを見ると、日本のミドル世代・シニア世代と比べてのびのびと楽しそうでいいなあ、と毎回思うのだ。
そのあと本数が少ないバスに何とか滑り込み、中西区に戻る。
鴨母寮市場というところで夕方でも開いていた数少ない店の一つに入り、「鴨」の名前がついたスープ(たしか冬菜鴨肉湯)と鶏肉飯をいただく。全くフォトジェニックとはいえないが、これが出汁がきいていてとても美味しかった。
少し疲れたものの、アクティブで優しい陳さんと1日遊べて充実した日だった。