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#2020年わたしの選択

緊急事態宣言のさなか、突然、東京から転出することを決めた。解除の翌日から内見をはじめて8月には埼玉の新しい家に住み始めた。

しかも、両親の住む実家から数分、実家の家屋を見下ろすマンションの9階の部屋を買ってしまった。あんなに嫌いで二度と帰るつもりのなかったこの地域。もちろん「年老いた両親の傍にいる方がよい」とか「この地域なら駅近でも格安な不動産価格で、仕事部屋が作れる」とか、誰に言っても恥ずかしくない根拠はある。もちろん居住空間としては快適だ。だが、洗濯物を干すときや、外出のためにドアをあけるとき、自分の育った町に更地が増え、人が減っていくのがどうしても視界に入ってしまう。

ここはもともと宿場町で、私が小中学生のころは、駅前のスーパーや歩道には大量の自転車が停められていて、朝晩、人であふれかえっていた。駅から住宅街への導線上にある実家。子供のころは夕方や夜になっても、勤め人が必ず家の前を歩いていて、心細さを紛らわせてくれた。

この地域は再開発のために道路が増え、どんどん古い世帯が転出している。実家も10年以内には立ち退くことになるだろう。シャッター街だった商店街は、すでに建物そのものが消滅してしまっている。町の姿が変わり、見覚えのある古い家屋がぽつんとさみしそうに残っている様を見ると、寂寞感から逃れることはできない。

実家には1年に1回は帰ってきていたのだが、喪失感を感じることが怖くて、逃れるように目を背けてきたのだ。

それが、コロナ禍で、なぜかこの町に戻ってきてしまった。今振り返っても、何が本当の決め手だったのか思い出せなくなっている。人の気配を近くに感じる東京の住宅街。いまだにあの家に未練があるし、取り返しのつかないことをしてしまったような気がして、枕に顔を押し付けたくなるときすらある。

9階のこの部屋で窓を開けていると、遠くの音まで聞こえてくる。鳥の鳴き声、川の気配。子供のころと変わらない空気に触れていると、自分のこれまでの来し方行く末を考えてしまう。あと10年もすれば両親は他界するし、弟が私より長生きするとも限らない。そうなると家族が消滅した後に一人取り残されるわけだ。自分で選んだ生き方とはいえ、寄る辺のない不確かさはじわじわと強まってくる。

何度か疑問に思った。この町にあんなにたくさんいた人たちはどこに行ってしまったのだろうか。

東京に転出した?郊外に移転した?もちろんそれもある。だが、あのころから30年以上経っている。

そうだ。みんな死んでしまったのだ。

人口が減っていく社会。そのさまを見せられているだけなのだ。

子どもを産まない選択をしたことで、それに加担している自分が浮かび上がる。なるほど。そういうことなんだな。

東京にいたときの自分は、もしかして、賑わいのある場に身を置くことで寂寞感から身を守っていたのか。予定を詰め込んだり、わざわざお金を払って人が集まる場を求めていたのは、人の気配が途切れないように無意識に周りを固めていたのだろうか。

先日、マンションの真正面の古い建物が取り壊された。商店街の一角を成していた古い家屋。父親がその更地を見て「すっかり無くなっちゃったなぁ」とつぶやいた。その寂しそうな姿を見て、父親の方がもっと強い寂寞感を感じていることに気付いた。

人と人との物理的な距離が遠いこの町にいると、血縁という繋がりが微かに温かく感じる。不意に襲ってくる寂寥感を紛らわすために、人は協力しあうのかもしれない。

「自分が傍にいることで喜ぶ人がいる」という事実と距離を置くことに慣れてしまった自分。誰かが喜ぶために居場所を決めるというのは、これまで想像もしなかった決断だ。この発想が芽を出したのは、未曾有の危機の中で、生き物としての生存本能か何かが覚醒したからなのだろうか。少なくとも、何か不可抗力に近いものに押し出されることで、こうなった。それでも、自分が選択をしたという事実には変わりないのだろう。

(↓こちらの企画に投稿しています)

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小原ナナエ(奈名絵)
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