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広島のお好み焼き屋で大阪弁の天使に出会った話

広島のお好み焼き屋で天使に出会った。
おじさんの姿で大阪弁を話していたけれど、間違いなく天使だ。

11月中旬、夫と二人で広島を旅した。

私たち夫婦は2019年に神奈川から兵庫に移り住んで以来、旅らしい旅をしてこなかった。1年目は新生活を軌道にのせるのに精一杯で旅どころではなかったし、2年目にようやく落ち着いてきて「そろそろどこかに行きたいねぇ」と話していたら、あれよあれよとコロナ禍の世に。

年に1回は見知らぬ土地を訪れ、美味しいものをたらふく食べるのを楽しみに生きてきたから、旅に出られない期間は心の隅っこに鉛の塊が居座っている感じがした。死ぬほど辛いわけではないけれど、鉛の重みで心が「ぐぐぐ」と凹んでいく。低反発クッションみたいに。
「時間」と「お金」以外の理由で自由に遠出できなくなるだなんて、2019年までの私はまったく想像できなかった。

「どこか行きたいけど、我慢するしかないかぁ」「うん、今は仕方ないね」と自分たちに言い聞かせ続けてきたけれど、GoToキャンペーンとJR西日本の「どこでもドアきっぷ」に背中を押され、思い切って広島行きを決めた。

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なぜ広島を選んだかって、まだ訪れたことがないからとか、案外近くて行きやすそうだからとか、色々理由はあったけれど、「広島のお好み焼き食べてみたいよね?!」と夫婦で盛り上がったのが大きい。

そう、お好み焼き。
大阪のそれと比較されやすいお好み焼きである。

関西に移住して、関西人(主に大阪人)にとってお好み焼きは本当に暮らしに溶け込んだ食べ物なんだと肌で感じた。スーパーでは、お好み焼きの材料を集めたコーナーが結構なスペースを占めている。もしや関西の食卓でお好み焼きは肉野菜炒め的なポジションなんだろうか。
私たち夫婦もすっかり感化されて、お好み焼きを食べる頻度が3倍くらい増えた。

大阪風のお好み焼きが身近な存在になると、がぜん広島風にも興味がわく。
大阪人と広島人はそれぞれ自分たちのお好み焼きにプライドをもっていて、ライバル関係にある。(たぶん)
広島のお好み焼きはどれほど美味しいのか。大阪風とどう違うのか。本場の味をこの舌で確かめてみたいと思ったのだ。

旅の食事は念入りに下調べして予約もしておく性分だけど、今回はどこのお好み焼き屋に行くかあえて決めなかった。というか、とにかくお店が多くて絞りきれなかったのだ……!さすがお好み焼きの街。だから、2泊3日の間に「今食べたい!」と心から思えるタイミングが来たら、Googleマップで近場のお店を探そうということになった。

そのタイミングが来たのは旅の2日目、夜8時。小料理屋で軽く夕飯を済ませ、歓楽街を歩いているときだった。「〆にお好み焼きとか最高じゃない!?」「とうとう行っちゃう?!」と二人の意見がピタリと一致したのだ。

そこかしこで妖しげに光るネオンに目を細めながらスマホをスクロールすると、ガイドブックにも載っていた人気店の2号店が50m先にあると分かった。ここにしない理由がない。

1分もかからずお店に着くと、数組並んでいる。
前のお客さんたちの隙間からのぞいた店内は奥行きが広い。長い長い鉄板のカウンターに、20人ほどのお客さんがずらっと座っているのが見えた。

ホイル焼きをつつきながら気になる女の子の話で盛り上がる大学生風の3人組。「ちょっとちょうだい」「いいよ」と穏やかにやりとりする親子。ハイボールを片手にお好み焼きが焼かれる様子を見つめるカップル。
それぞれ過ごし方は違うけれど、みんな充実感に溢れた横顔をしていた。うん、ここは良いお店の予感。

お店を切り盛りしているのは、若くてヒョロッとした男性の店主さんと、バイト風のおじさんの2人。「えっ、たった2人?!この繁盛ぶりで大丈夫なの?!」と驚く。

でも、とくに店主さんが異次元かと思うほど瞬発力が高く、テキパキしているのだ。
千切りキャベツたっぷりのお好み焼きをひっくり返したそばからレモンサワーを作り、さらにお会計もこなしたかと思えば、並ぶ私たちに「お待たせして申し訳ないです!これご覧になってくださいねー!」と爽やかにメニューを渡してくれる……!!
しかも、まだ不慣れな様子の店員さんがもたついてしまっても決して声を荒げず、柔和に指示を出す。あちこちから常連さんに話しかけられては、人懐っこい笑顔で軽妙に返す。

あ、ここ絶対良いお店だわ。口に出さずに夫をチラリと見ると、夫は「うんうん」とうなずく。

20分ほど待っただろうか、複数のお客さんが一気に帰り、私たちはとうとう席につけた。しかも、店主さんがお好み焼きを焼く様子を目の前で見られる特等席!

このお店では、お好み焼きに使う麺を「そば」か「うどん」か選べる。夫は王道のそば、私は「うどんもおいしいねぇ」という親子の会話を盗み聞きしてうどんに。

「飲み物はどうする?」と夫に聞くと、「メガジョッキのハイボールにしよーっと。」
「〆のお好み焼きなのにお酒飲むんかーい!しかもメガジョッキ!」とツッコめば、「美味しいお好み焼き食べるんだから飲まなきゃ〜!店員さん忙しいだろうから、何度も注文しなくていいようにメガジョッキにするの」とニコニコ笑う。
そうですか、そうですか。下戸の私はウーロン茶です。

そのときだ。
夫の隣に大柄でがっしりとしたおじさんがどかっと座った。
短く刈り込んだ髪、太い指にいくつも光るごっついシルバーリング、平べったいセカンドバッグ。

店主さんに明るく「お飲み物どうされますー?」と尋ねられると、ひとこと「うん、生ね」。

「うぁぁ、イカツイ人来た……」
私は内心ソワソワしながら、夫越しにおじさんをチラリチラリと見ていたが、夫は「いやぁ、最高の夜だなぁ」とひたすら上機嫌。なんて平和な。

一方、店主さんは10人以上入れ替わったお客さんのお好み焼きを一気に作り始めた。横一列にぴしっと並んだ注文表を数秒だけ眺めると、鉄板に生地を広げていく。薄く丸く、薄く丸く、テンポよく。店主さんの周りの空気がキリッと引き締まる。

夫は「うわぁー、うわぁー、楽しみだなぁ」と言いながらカメラを取り出す。外出が減って出番が少なくなっていた愛機。

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店主さんのなめらかで無駄のない動き。彼だけ1.5倍速の世界にいるみたいだ。

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具が積み重ねられてどんどん形になっていくお好み焼きを、夫はピピッ、カシャ、ピピッ、カシャと切り取り続ける。

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私は、店主さんの手の動きと夫のカメラのディスプレイを交互に見る。まさしく最高の夜じゃないか。

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袋を「パン!」と叩いて開けては、麺を出していく。
10枚以上焼いているのに、うどんは一玉だけ。

「うどんにしたの、私だけ?」
そう心の中でつぶやいた瞬間。

なあなあ、お兄ちゃんさ。そんなにぎょうさん焼いて麺とか間違えへんの?

例のおじさんが突然、店主さんに話しかけたのだ。私はひそかに凍り付いた。もしや、いちゃもんか?いちゃもんをつけているのか?しかも大阪弁….…!広島の人じゃないのか……!お好み焼き戦争が始まるのか….…?!

店主さんは「いやぁー、めったに間違えないんですけどねぇ。やっぱりたまには間違えますよね」と、やはり人懐っこく答える。話しつつも手は絶え間なく動かしていて、お好み焼きが完成に近づいていく。

たまにしか間違わへんの?!すごいなぁ!間違えたらどうするん?お客さん怒らへんの?

おじさん、なかなか切り込むね……!でも、どうやら悪意があるわけではなく、純粋な好奇心で聞いているようなので少しホッとした。

とはいえ、私はおじさんと店主さんのやりとりを、できる限り存在感を消しながら聞いていた。
それに対し、夫は相変わらずニコニコしていて「うふふ」と声に出しかねない勢い。なんなら、おじさんのほうにちょっと顔を向けている。おいおい、やめてくれやめてくれ。

「そうですねぇ、間違えたときは素直に『ごめんなさい!』って言いますね。そうしたら、たいていのお客さんは笑って許してくれます。」
店主さんの返事に、私はうんうん、そうだよねとこっそり納得する。

ところが。
「でも、お客さんみたいに怖そうな人には言わないですね」とイタズラっぽく笑い、さらに「お兄さんみたいにやさしそ〜な人を選んで言います」と続けたのだ。夫を見ながら。

夫は「えぇっ、僕?!いやいやいやいや、やさしくないですよ」と手をぶんぶん振る。三日月よりも細い目がさらに細くなる。

店主さんは夫の反応を面白がりつつ、おじさんに「お客さんてっきり怖いのかと思ったら、全然そんなことなくてホッとしましたけどね」と茶目っ気たっぷりに付け足した。気持ちいいほど正直だ。

おじさんは「怖そうな人」という言葉を否定も肯定もせず、夫のほうを向いて豪快に笑った。

ほんまや!お兄ちゃんやさしそうやな〜!

そして、そのまま私たちに話をし始めてくれた。

遠出して美味しいものを食べるのが大好きで、今日は大阪から高速バスで来たこと。久々の旅行はやっぱりいいなと思ったこと。実は一軒目にお寿司を食べたんだけど、せっかく広島に来たのだからお好み焼きも試してみようと思ったこと。

夫と私は「へぇ〜!」「そうなんですね」などと相槌を打つ。美味しいもの好き同士だな、とこっそり嬉しくなる。

ふら〜っと入ったら、こんなかっこええお兄ちゃんが切り盛りしてはるんやもん。な、すごいよな?

私たちは「ほんとですね!」と120%同意し、店主さんは「あざーす!」とちょっとおどけた。ちょうどお好み焼きにソースを塗り終えて、お客さんに出していくタイミングだった。私の目の前に来たのは、うどん入りのお好み焼き。良かった、ちゃんと私のうどんだった。

おっ、ここのお好み焼きうまいなぁ!

おじさんはつけていたマスクをひょいと顎にずらし、さっそくお好み焼きをつつく。そしてまたマスクを元の位置に戻し、私たちに話を続ける。

大阪にもたくさんお好み焼き屋があること。広島と大阪のお好み焼きは全然違うけれど、やっぱりどちらもうまいこと。二人にも大阪のお好み焼きを食べてみてほしいこと。

コクコクとうなずきながら、私は少し後ろめたくなった。私たちは兵庫、しかも大阪に接する尼崎市に住んでいる。だから大阪にはしょっちゅう出かけるし、大阪のお好み焼き屋で食べることもある。でも、関西に移住して2年の私たちはまだ「よそ者」のような気がして、尼崎から来たと打ち明けにくかった。夫もそう思ったのか、やはり何も言わなかった。

でもまあ、結局のところ聞かれる。

お兄ちゃんたちは広島の人やろ?

夫婦で声にならない「あっ」を発したあと、「いやぁ、実はですね」と切り出したのは夫だった。こういうとき、夫のほがらかな笑顔は本当にありがたい。

えっ、尼(あま)なん!?はよゆうてや〜〜!水くさい〜〜!

おじさんの快活でよく通る声が、一段と明るく弾んで店内に響いた。

そこから私たちは、砂浜で美しい色の貝殻を拾い集めるような、幸せなやりとりを続けた。おじさんにとってもそうだったらいいなぁと思うけど、どうだろうか。

話をしてみると、おじさんと私たちは実は細い糸で繋がっていることが分かった。
おじさんは溶接の会社で管理職をしていて、なんと夫が勤めている会社と取引をしたことがあるらしいのだ!

おぉ〜!お兄ちゃんのいてはる工場にも何度も行ったわ!えらい縁やなぁ!

私も驚いたけれど、夫はさらに驚いていた。まさか遠い広島の地で、自分の職場を知る人に出会うとは思わないもの。

お互いに技術職だということもあって、二人はまるでずっと仕事仲間だったかのように打ち解けていった。

おじさんは、現場でやりたいことがたくさんあるのに、稟議、稟議でなかなか実現できない歯がゆさを語り、「おっちゃんが社長やったらなぁ」とおちゃらける。でも、今の会社は高卒でトラック運転手だった自分を10年前に拾ってくれたんだそう。溶接に関しては全くの未経験だったのに、辛抱強く育ててくれて、管理職にまでしてもらえてありがたいと話す。

夫も、今自分が携わっているプロジェクトがコロナの影響でなかなか進まないけれど、これまで働いてきた中で一番やりがいを感じていること。人の暮らしを支える仕事ができて誇りに思っていることを打ち明けた。転職で関西に移住して、本当に良かったとも。
私にとっては、初めて聞く話もたくさん。普段のにこやかな表情に、荒波に揉まれてきた人の確かなたくましさが滲み出ていた。

せやな、せやな。

おじさんは深くうなずきながら、店主さんに「お兄ちゃんに同じお酒持ってきたって。お勘定はこっちにつけてな」と声をかける。首をひょいと突き出して「ウーロン茶はまだあるんやな」と私のグラスを確認することも忘れない。
夫は「いやいやいや、申し訳ないですよ!!あ、じゃあお礼に生をご馳走させてください!」と慌てる。
慣れっこな光景なんだろうか。店主さんは「はーい!メガジョッキのハイボールと生ビールですね〜!」と軽やかに返事をした。

ドラマや小説の中だけだと思っていた酒場でのやりとりが目の前で繰り広げられていて、私は夫のお好み焼きを勝手につまみながらニヤリとしてしまう。

その後もおじさんは仕事の苦労話を面白おかしく語ってくれていたけれど、ある瞬間、急に黙り込んだ。そして、ポツリとつぶやいた。

なあなあ、おっちゃんはな、仕事で一番大切なんは人と信頼関係を築くことやと思うんやわ。

儲けを出すのももちろん大切だけど、「この人なら助けたい」と周りに思ってもらうこと。そうすれば、仕事は絶対にうまくいく。でもそうなるためには、まずは自分から助ける人にならないといけない。

さっきまでの明るく小気味良い調子とは一転し、ゆっくり、穏やかに話してくれる。一つひとつの言葉を慎重に選ぶように。私たちも静かに耳を傾ける。

まっ、お二人さんは大丈夫やろな!
おっちゃん保証するわ!

おじさんはちょびっと残っていた生ビールをグビッと飲み干した。お好み焼きもいつの間にか食べ終えている。

「あっ、おじさんがそう言うなら、私たちはほんとに大丈夫だな。」
なぜか自分でも驚くほど納得できた。

もしかして、自分たちにとって都合のいい言葉だけを信じようとしているのかもしれない。でも、それでこの先も生きてゆく勇気が湧くのなら、いいんだよね。雲一つない青空を見上げるような、清々しい気分。

夫はというと、「はい」と言いながらちょっと目を赤くしていた。今晩はここで、今まで知らなかった夫の横顔をたくさん見させてもらってるな……私までつい涙ぐんでしまう。

なあなあ、おっちゃんの定年後の夢なんやと思う?

またカラッとした調子に戻り、おじさんは私たちに問いかける。

なんだろう、自分の会社を立ち上げるとか?

幼稚園バスの運転手やで。

「だってな、おっちゃん、それくらいの年齢の子が大好きなんやわ。かわいいやんか」と満面の笑みで言う。

「あっ、このおじさんは天使なんだ……。」
そう確信した。

この世界で生きていると、誰かが時々、天使として現れて、ものすごくたっぷりの愛情を分け与えてくれることがある。

それがいつ、どこで起こるか、私には予想できない。
私たちの存在を全力で肯定してくれるような、特別な時間。マリオのボーナスステージのような、嘘かと思うほど気前のいい時間。

今晩はまさにその日なんだと思った。

ほな、おっちゃんそろそろ行くわ。
せっかくやしな、もう一軒はしごするわ。

「これでおっちゃんのお勘定払っといてや」と夫に五千円札を握らせ、店主さんとは「ごちそうさま」「ありがとうございまーす!」とサラリと挨拶し合い、おじさんはあっという間に立ち去ってしまった。

残された私たちは「なんか、すごいことが起きたね」「うん、奇跡だったね」と言葉を交わすのがやっとだった。

翌朝、宿泊先のホテルで夫が「あっ!!!」と大声で叫ぶから何かと思ったら、おじさんとの話に夢中で、肝心のお好み焼きが完成した写真を撮り忘れていたという。確かに!!
しかも、正直なところお好み焼きの味もよく覚えていないそうだ。うん、それは私も……。美味しかったのは間違いないんだけど。

大阪弁を話すおじさんの姿をした天使は、イタズラ好きな天使だったのかもしれないな。

「いやぁー、せっかく広島まで来たのに、お好み焼き食べた気しないなぁ!」「ねー!」なんて、二人で大げさに残念ぶったけれど、本当はちっとも残念だなんて思っていない。むしろ心が温かいもので満たされて、ほこほことしていた。

「きっとさ、また食べに来なきゃってことだよね」「うん、そういうことだわ」と笑いながら、私たちは朝の広島駅へと向かった。



■SPECIAL THANKS
夫(お好み焼きの写真)
さわちゃん(大阪弁のチェック)







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小野 ぽのこ
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