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スキャットマンよ、永遠に【ナナンカエッセイ時代のを再掲】

 スキャットマン・ジョン(本名:ジョン・ラーキン)が突如現れて世界中に喝采され、その後不本意ではあるが一部からは一発屋扱いされたこのジャズピアニストは、いまだに俺の耳を刺激してくれ、それだけでなく彼の存在は細胞にまで流れ込んでいる。

 あれは中学生の頃、スキャットマンが亡くなったことをニュースで知り、大切なもののひとつが世界から消えた感覚をどう扱えばいいかわからず登校していたとき、デビュー曲『Scatman』が教室のどこかから流れていた。音を辿っていくと音楽室で、いつも穏やかな先生が『Scatman』を流しながら窓から校庭を見ていた。
 冷やかしでも何でもなく、「スキャットマン、亡くなったんですよね」とつい言ってしまったが、その後ろ姿は何も言わなかった。きっと先生は自分独りでいたいのだろうとさすがの俺も察し、教室を後にした。
 別に先生に恨みなんかはなく、ただ、冷やかしではなく僕も悲しんでいたんです、ということを誤解なく受け取ってもらえていればいいのだけれど、別段そうでなくてもいい。というのも、スキャットマンは今でも世界中で聴かれているし、他人の心をどうこうしようという気はないからだ。

 だからこれを読んで無理にスキャットマンを好きになれとは言わないし思ってもいない。けれど、こういう人がいたんだよ、ということを感じていただければ幸いである。

 細々とジャズピアニストとして生計を立てていた彼は、生まれながらの吃音(いわゆるどもり)に悩まされて、アルコール中毒だけでなくドラッグ中毒になるほどだった。それを支えたのは奥様だろうけれど、思い通りに話すのに苦労する、ということは、活舌が悪いとかいう程度を超えたストレスだろう。後に彼は世界中の吃音団体に寄付するだけでなく、インタビューにも受けたりしている。日本の吃音団体でのコメントを俺ははるか昔に印刷してファイリングしている。
 で、彼は「歌うときにはどもらない」ということに気づき、それを『Scatman』の歌詞に入れているのだけれども、特筆すべきはスキャットという歌唱法で、様々な音階のリズムを単独では意味のない単語でまくし立てるやつである。たとえば「Do-Be-Va-Da-Da-Da-La-Za」と言った具合の単語を音として・リズムとして発するわけであるが、これがプロデューサーの目に留まり、ホテルなどで演奏している一人のジョン・ラーキンから、世界に知られるスキャットマン・ジョンとなったわけだ。仮説でしかないけれども、吃音だったから彼はスキャットを磨き、スキャットマンを名乗れるほど優れたスキャットをするようになったのではないだろうか、と思ったりする。

 彼はデビューしてしばらくし、癌でこの世を去ってしまった。彼の五十数年はきっと明るくはなかっただろう。「(I Want To)Be Someone(人並みになりたい)」という曲にあるように、人生のほとんどを辛さと共に生き、華々しく輝いたかと思うと、急に天国へ帰ってしまったわけだ。でも、彼が世界に残してくれたものははるかに大きく、彼に後ろ指を指していた人がいたとしても、そんなものを全部彼の色で塗り替えたと思う。ジャズピアニストとしてのアルバムも出していて、これもいいので、一人のアーティストにじっくり浸るのもいいかもしれない。そう考えると、あの時、音楽の先生が窓から見ていた景色は学校の風景ではなく、スキャットマンの世界だったのかもしれない。

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