言葉はナイフで、本当に人を殺す話
言葉はナイフだ。
なんて、ただの比喩表現だと考えている人が実際のところ多いのではないだろうか?
血は流れない。
心の弱いやつが勝手に命を絶って迷惑。
なんて本当に考えている人間がそこら中にうじゃうじゃいると考えると吐き気がする。
人間は目に見えないものが苦手だ。
目に見えないものはわからないから。
分からないものは怖い。
人間はそういうとき、いつだって自分なりの解釈で乗り越えてきた。
雨や雷は神の怒りとか
豊作に恵まれたのは神の恵みに違いないとか
そうやって理由付けすることで未知に打ち勝ってきた
けど、今は違う。
理由付けに根拠が求められ、根拠なき理由は完膚なきまでに否定される。
当たり前だ。根拠がなければ適当な理由付けでもよかったが
根拠がでてきたのなら
根拠なき意見は価値がない
そう、目に見えないものを恐ろしいと感じるのは人間の性だが、目に見えないというだけだ。
実際に神経系に異常をきたしたり、アレルギー反応を示したりと
言葉のナイフは実在する。
それを否定するならば、まずは主観の世界から逃れられなければならない。
主観ではサンプル数1でまるで当てにならない。
言葉のナイフが存在しない理由とその客観的根拠。
それがないのなら言葉のナイフを認め自身の行動を改める必要がある
言葉のナイフは軽んじられている。
人が死ぬ。それに関しては某感染症と変わらないはずなのに
心の中で心が傷ついて死ぬ人のことを
偏見の目で見ているのだ。
この世界は歪んでいる。
動物だって自ら命を絶つ。
色眼鏡なしで世界の美しさを楽しみたいものだ。